
「選挙の神様」と呼ばれた選挙プランナーの藤川晋之助さんが3月11日、都内の病院で亡くなった。71歳だった。昨年の東京都知事選で、無名だった前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏の選対事務局長を務め、石丸氏を小池百合子知事に次ぐ2位に躍進させて名前が広まり、その後も様々な選挙を手掛けていた。
【写真】「人生の最後にイヌやネコの選挙応援」を始めた藤川さん
藤川さんは国士館大学卒業後、自民党の山本幸雄元自治相(旧田中派)の議員秘書を務め、大阪市議会議員に転身。その後、市長選や衆院選に出馬するも落選した。自らの選挙はそれほど強くなかった。
インドネシアで金鉱脈掘り
私(記者)は20年ほど前から、藤川さんに選挙情勢や政治の裏事情などについて話を聞くようになった。藤川さんは政治家の道を断念した後、一時、一攫千金を目論んでインドネシアに渡り、
「世捨て人と思われるかもしれないが、金鉱山を掘り当てるんだ」
と2年間ほど異国の山奥で過ごしていたこともあった。だが、
「インドネシアの政府の偉いお役人を頼って行ったんだが、『ミスター・フジカワ、地元ゲリラと政府軍の闘争が激しくなった。身の安全が保障できないから、日本へ帰ってくれ』と言われたんだ。いや、もうちょっとで巨大な金鉱脈にぶつかるほど、掘り進んでいた。大金が目の前やったんや。これ、ほんまやで」
そんなウソともホントともつかない話を、大阪弁をまじえた軽妙な語り口で、藤川さんはよく語っていた。
昔の秘書仲間を通じて、当時民主党にいた小沢一郎衆院議員から声をかけられて永田町に舞い戻った後は、元フジテレビ社員で旧民主党衆院議員の三宅雪子氏(故人)の秘書や小沢氏のグループの若手議員の面倒をみるようになった。
「いや、小沢グループの若手の不始末の処理ばかりだった。怖いそのスジの人ともやり合い、寿命が縮まる思いだった」
その後、旧民主党の勢力が弱まると、日本維新の会の石井苗子参院議員の秘書など、与野党問わず多くの議員の選挙や政策のサポートをした。公設秘書の定年である65歳を過ぎても、選挙があれば参謀、軍師と請われて全国を駆け回っていた。