デザート以外のヨーグルトの活用法

 2024年12月1日から2025年1月31日までの2カ月間、アパホテル直営レストラン「ラ・ベランダ」全店にて、「明治ブルガリアヨーグルト」を使ったコラボメニューが期間限定で提供された。

 明治ブルガリアヨーグルト50周年を記念して開業40年の同ホテルと「40-50(フォーティー・フィフティー)」記念コラボとして実施。宿泊客や来店客に限定メニューを提供したのだ。

 限定メニューは全6品。メニューは、表面を焼いた豚肉とヨーグルトでマリネした野菜をあわせた「ロースの低温調理野菜のヨーグルト漬け添え」、パンに水切りしたヨーグルト、味噌、チーズをのせて焼き上げた「ホテル特製タルトフランベ、プルマンホワイト仕立て」など。6品中4品はヨーグルトをデザートとしてではなく、食材として使用していた。

 「この企画は、お客さまとのタッチポイント(接点)を増やすためです。明治ブルガリアヨーグルトは半世紀にわたり親しまれてきましたが、もっとさまざまな食べ方をお楽しみいただきたい。その一例としてホテルのレストランでの限定メニューとしてコラボレーションさせていただきました」(淡路氏、以下表記がないものは同氏の発言)

 日本のヨーグルト市場を拡大させたのが、明治ブルガリアヨーグルトだ。ヨーグルト市場はどのように発展したのか。同ブランドの歴史や訴求についても考えたい。

きっかけは1970年の大阪万博

 家庭用ヨーグルトの嚆矢は「チチヤスヨーグルト」(チチヤス乳業:1917年発売)と聞く。今でもファンが多いロングセラーブランドである。

 市場が一気に拡大したのは戦後の高度経済成長期、1970(昭和45)年前後からだ。

 「明治ブルガリアヨーグルト誕生のきっかけは、1970年に開催された大阪万博(日本万国博覧会)です。パビリオンのひとつ『ブルガリア館』で当社の社員が本場ブルガリアのヨーグルトを試食して感動したことから商品開発が始まりました」

 翌71年には前身商品「明治プレーンヨーグルト」を発売。商品名に“ブルガリア”を入れたかったが、ブルガリア国の許可が下りなかった。粘り強く交渉した末、同国政府から国名使用許可を得て、1973年に「明治ブルガリアヨーグルト」として誕生した。

 「先人の熱意によりブルガリアとの関係ができ、技術支援や情報提供も受けられるようになりました。今でも乳酸菌は同国から空輸しています。それをもとに発酵する牛乳は国内産を使用します」

 本場ブルガリアのヨーグルトと明治ブルガリアヨーグルトはどう違うのか。

 「基本的な味わいは変わりませんが、ブルガリアのヨーグルトは乳脂肪分量の異なる商品がいろいろあり、低いモノでは2%、高いモノだと10%を超えるものもあります。『明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン(400g)』は乳脂肪分3.0%です」

 ちなみにブルガリア語でヨーグルトは「キセロ・ムリャコ」という。現地では「酸っぱいミルク」という意味だが、煮込み料理をさす場合もあるそうだ。原材料の乳は、乳牛だけでなくヤギや水牛を使うこともあるのが日本製との違いだろう。

次のページ