アルタビジョンにデビュー曲が流れ、「いいとも」にも出演した原めぐみさん(2022年2月/撮影・高鍬真之)
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 1980年4月にオープンした新宿アルタが、2月28日に完全閉館した。アルタといえば、新宿駅東口を出るとだれもが見上げた大ビジョンと、何と言っても82年10月から2014年3月まで放送し、ギネスブックにも認定された公開生番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジテレビ系)だ。番組はタモリ司会のもと、7階のスタジオで公開生放送。ここから関根勤、小堺一機をはじめ数多くの人気タレントが生まれた。そんな番組を作っていたディレクターやゆかりの人らに、番組の裏話や思い出を語ってもらった。

【写真】若い!タモリさんとゲストのうじきつよしさん 「いいとも」収録中のスタジオの様子はこちら

「私はアルタで三十代から六十代まで過ごしました」

 新宿アルタのホームページで「閉館特設サイト」に流暢な文字でコメントを寄せたのはタモリさん。笑福亭鶴瓶さんは「週に1回 芸能人に会いに来てました アルタはわくわくする場所でした」とつづり、「アルタを漢字で表すと有留多 たくさんの想い出がここにある」(関根勤さん)、「アルタは僕の道場!」(小堺一機さん)と、それぞれに若き日々を振り返る。

30代はアルタとともに

 他にも、「私の芸能生活はアルタから始まりました」(中山秀征さん)、「僕はアルタに芸能人にしてもらいました」(南海キャンディーズ・山里亮太さん)、「全ての始まりはアルタからでした!」(渡辺直美さん)など、感謝の言葉が並ぶ。

「笑っていいとも!」のメイン企画「テレホンショッキング」は、最後にその日のゲストが知り合いの芸能人らにその場で電話をし、翌日のゲストとして呼んでいた。放送開始から約5年間、火曜日を担当していた名物ディレクター・小林豊さん(後にフジテレビ役員から出向してテレビ静岡元社長)がこう振り返る。

「『笑っていいとも!』がスタートしたのは82年10月で僕が31歳でした。でもその2年前、アルタがオープンした80年10月から同じアルタの7階で始まった昼のバラエティ『笑ってる場合ですよ!』や『いいとも!』の後のトークバラエティ『ライオンのいただきます』にもディレクターとしてアルタに通っていましたから、僕の30代はアルタとともにあった、と言っても過言じゃないですね」

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全8054回放送の番組平均視聴率は11.5%。最高視聴率は1988年4月29日