藤王康晴

「愛知県って地元選手に甘いところがある」

 昨年中日でヘッドコーチを務めた片岡篤史氏も自身のYouTubeで「愛知県って石川(昂弥)にしても高橋(宏斗)にしても地元の選手に甘いところがある。それは気をつけてほしいですね」と指摘した。根尾についても「地元のスターということで何とかしたい」と語っている。

 民放テレビ局の関係者がこう話す。

「愛知、岐阜、三重県は東海3県と呼ばれ、出身選手に対する中日ファンの熱量は高い。岐阜県出身の和田一浩さんが西武からFAで中日に移籍した際はメディアで連日大きく報道されました。根尾が入団した時もすごかったです。1軍がオープン戦をやっている時に、同時中継で根尾がファームでフリー打撃の様子を映像で流していました。阪神ファンも熱狂的で知られますが、関西出身の選手でも結果を出さないと厳しい声が出る。中日はちょっと独特の環境かもしれません」(民放のテレビ局関係者)

 東海圏出身の選手たちがメディアで大きく扱われるのは名古屋の文化と言える。それが遠因になっているのか、地元出身のドラフト1位選手は、取りざたされるわりには目立った活躍がないまま消えてしまうケースが目立つ。

甲子園記録を作った藤王だが…

 享栄高(名古屋市)で高校通算49本塁打、甲子園で11打席連続出塁の大会記録を作り、高校球界を代表するスラッガーとして1983年ドラフト1位で入団した藤王康晴は、高卒1年目から34試合に出場し、打率.361と非凡な打撃センスを見せた。だが、その後は一軍に定着できず、89年オフに日本ハムへトレード移籍。一度も規定打席に到達することがないまま、92年限りで現役引退した。

 中京大中京(名古屋市)から2001年のドラフト1位で入団した前田章宏も、強肩強打が魅力の捕手として将来を嘱望された。実家がナゴヤ球場の近くで、入団時は地元メディアの注目度が高かったが、正捕手の壁は厚かった。通算54試合の出場で打率.070、本塁打ゼロで13年に現役引退した。

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「藤王は環境が違ったらどうなったか」