岐路に気づき、「自分」を生きる20の問い
繰り返しますが、何かが欠乏しているがゆえに現況の困難があると、私は思いません。すでにあることに気づかない/なかったことにしてわかった気になり、「正解」を探し彷徨(さまよ)いつづけていることが苦しいのだと考えています。
だから、誰しも「自分」を生きる、ないしは生き直すことの転機というのは、絶えず訪れているのだと、思い至るのです。機が熟したらとか、偉くなったらとか、そんなことではなく、今ここに、在り方が問われているわけです。
「格」「自己肯定感」「ガチャ」「自立」「自己責任」「自己肯定感」「赦す」「ウェルビーイング」など、『格差の"格"ってなんですか? ――無自覚な能力主義と特権性』(Re:Ronの連載に大幅加筆して書籍化)で論じる20の概念。これらを問い直すことが、なぜ「自分」を生きることにつながるのか? 本書では、理屈とあわせてお話ししてみます。
よくよく考えるとツッコミどころ多きこれらの概念が、社会的強者の側から支持されつづける背景、巧みに規範化していくメカニズムにも言及していくことになりましょう。
そして、意図的に、口を塞がれてきた人の存在、生き合えばいいだけなのに、生き抜くこと(=競争社会)を決してやめない人たちの姿をも浮き彫りにします。
……なんて、糾弾する時間も意図もありません。
今、動くことができ、口を開くことのできる人はその幸運さに感謝して、不運が訪れている人のために、動きたいのです。ひたむきな人の営為を無下(むげ)にしない社会の足掛かりをほんのわずかでも見つけたいと思います。

