勅使川原真衣『格差の"格"ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)
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「誰もが“しあわせ”になるために」と謳い続ける言説に待ったをかけてきた組織開発の専門家、勅使川原真衣さん。自著『格差の"格"ってなんですか? ――無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)の中で、そんな「20」の違和感に問いを立てている。慌ただしい日々のなかで、つい分かった気になり、見過ごしてしまう小さな違和感に、あえて立ち止まるべきときが来ているという。良かれと思って、かえって世の中悪くなってないだろうか。考えるヒントを本書の「プロローグ」を抜粋・再編集して紹介する。

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岐路に立つ人へ 立ち止まれない人々

「よりよい社会」のために/「自己肯定感」が低すぎて/「成長」しないと/これからは「自己責任」/「リスキリング」しないと生き残れない/「対話」が足りない……などというのはもうお腹いっぱいだ――。

 私は、2023年6月から1年にわたって執筆してきた朝日新聞Re:Ronの連載「『よりよい』社会と言うならば」で、そんなことを述べてきました。現状の私たちは何かが欠乏・欠落した、取るに足らない存在だから、「新しい」能力やらタイパやら対話やらが必要─といったよくある「正論」に疑義を呈してきた連載とも言えます。

 そして、「よりよい社会」なんて言いながら、実際には選別的、排他的で失敗を許さない社会、一部の人の特権を維持継続していくシステムが強化されていないか? 

 我々が向かっている方向については今こそ立ち止まって点検し、必要あらば勇気をもって、後戻りや方向転換をすべきではないか? と迫ってきました。

 なぜこんなにしつこく、問うたのでしょうか。それは社会の潮流を眺めるに、思いのほか「あぁ、立ち止まれないのだなぁ」「これも看過するのね……」と思わされることが山ほどあるからです。

 ではなぜ、立ち止まれないのでしょうか。これだけ成熟した知識社会にあるのに、なぜ。

 それは、「岐路」に気づかないからだと、私は考えています。

 大切な分かれ道に「今ここが岐路! スルー厳禁!」などと看板でもついていればいいのですが、現実には不可視の存在。「岐路」というのは、あとから考えると明確にそこにあったのに、そのときそのときには気づけないことが多い。

 だから、思慮深く、慎み深く「よりよい社会」を考えるならば、見えない「岐路」への感度を上げていく作業に、ある種の希望があるのではないか。そんなことを、自身の学問的、職業的経験、ならびに今も続く闘病経験から思うのです。

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岐路は誰にでもある