そこに、ベテランのスポーツ紙の記者が入ってきて、なんとか野球の話題になった。
私が、「人工芝と甲子園のようなグラウンドで守備の難しさはどう違うのか」と素人のような質問をすると、吉田さんは丁寧に話してくれた。
「人工芝はバウンドが変わらないし、芝の色も一定やから慣れたらやりやすい。甲子園は土で、整備が行き届いているが、ちょっとしたくぼみやスパイク跡を見つければ自分で直す。けど、すべてはできないわな。それで、たまに打球がスパイク跡に当たる場面がある。けど、そのとき、どうイレギュラーしてくるか、右に弾むか、高く上がるか、年を重ねると読めてきた」
まさに「名人」だと思った。
「タバコくらい、自分で買ってくれよな」
タバコのことを聞けたのは、それから10年以上たってからだった。
「一本ずつ書いていない。タバコのパッケージに書いていただけや。あの頃、選手がタバコを吸うのは当たり前の時代。ひと箱あっても、すぐに消えてしまう。タバコくらい、自分で買ってくれよな」
吉田さんは笑っていた。
ふと思い出したことがあった。1985年、阪神が優勝した時、掛布雅之、バース、岡田彰布を中心に猛打で勝ち進んだ一方、投手力は芳しくなく、先発投手が打線の援護でなんとか持ちこたえ、リリーフで逃げ切るという試合が多かった。吉田さんは投手を変えるたびにマウンドへ駆け寄るのだが、ある時、吉田さんが交代したピッチャーに声をかけ、内野手が守備に戻った後で、もう一度、投手に駆け寄って声を掛けたことがあった。私がそれについて聞くと、吉田さんは言った。
「よくそんなことまで覚えとるね。あれは広島戦かな。ピンチでの登板で最初は『とにかく外角ばっかり投げなさい』と言った。もう一度、駆け寄ったときは、『抑えたらうまいビールが飲めるな』とか言うたのかな。マウンドで細かく指示してもどうにもならん。緊張せんようにと」
監督時代の細かいシーンまで記憶しているのには驚かされた。
吉田さんは80歳を過ぎてもテレビで野球解説をするほど元気な姿を見せていた。江本さんは昨年、一緒にゴルフをしたと言う。
「年のせいか、吉田さんは9ホールで引き上げていた。でも、毎年、ゴルフの後は中華料理屋で食事会をやるのですが、そこにはしっかりと参加してました。『ゴルフを途中で終えて会食も欠席したら、何してるねん、吉田も年取った、とどこかに書かれでもしたらね』と周囲を和ませていました。気遣いの方でした」
ご冥福をお祈りします。
(AERA dot.編集部・今西憲之)