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江夏さんと江本さんを軸とした阪神2人、南海4人が移籍する大トレードの舞台裏だ。吉田さんは当時、報道陣に「トレードはフロントが決めたことで知らなかった」と話していたが、実は主導的に動いていたわけだ。吉田さんはのちに、知らないふりをしていたことを江夏さんに謝ったことも報じられている。
タバコ一本一本に「吉田」と書くケチ?
吉田さんは、現役時代、自分のタバコを人に吸われないよう、「タバコ一本一本に『吉田』と名前を書いているほどのケチ」と「都市伝説」のように言われていた。
江本さんもそれを知っていた。
「阪神に入団が決まって、吉田さんのご自宅に食事に来いと招待されました。一緒にトレードが決まった島野育夫(元阪神外野手)とおじゃまして、おいしい奥様の手料理で歓待していただきました。ケチやと聞いていたが、実は天真爛漫というか、おおらかな人でした。阪神は人気チームですから、かなり大げさに書かれていたんだろうなと思いましたね。人気の阪神で、『世紀のトレード』と大きく報じられたうえに、吉田さんからは『江本、このトレードは勝負がかかっとる。ほんまに頼むで』と言われて、私もかなりプレッシャーでした」
トレード初年の76年、江本さんは15勝9敗とチームの勝ち頭となり、阪神のエースとしての働きを見せた。一方、江夏さんは6勝12敗と負けが先行した。江本さんは吉田さんから、
「江本がやってくれたので、首の皮がつながったわ。よう頑張った」
とねぎらわれたと言う。
「タバコに名前を書いていたか聞いてこい」
私(記者)は日本唯一の400勝投手、故・金田正一さんに話を聞く機会があった。
「一番、苦手で嫌だった打者は誰か」 と尋ねると、
「吉田や。小さいし、空振りしない、ビシッとヒットを打ってくる。誰でも空振りしてくれるボールも簡単にファールして、難儀だったわ」
と言っていた。実際、吉田さんは179打席連続無三振という当時の日本記録を持っていた。
私が記者になったころには吉田さんはすでに引退し、監督となっていた。
1985年に吉田監督のもと、阪神は日本一に輝く。だが、翌86年は3位、87年は最下位と順位を落としていった。阪神の十八番、お家騒動も勃発。選手から監督批判も飛び出た。そんな時、仕事をしていた雑誌の依頼で吉田さんの取材をしたことがあった。
「タバコに名前を書いていたか聞いてこい」
ともデスクから命じられた。
チームの遠征先で吉田さんに名刺を出すと、
「いつも悪口、よう書けるな」
とまったく取りつく島がない。とてもタバコの話なんて聞けない。