くわしくは書けないが、物語の後半ではもう一つの時間が流れる。弥生の若かりしころの結婚生活時代。3つの時代のなかで、弥生と彼女に関わる人々の身に、女性のライフステージで起きそうなことがすべて起きる。嫁と姑との微妙な関係、出産をめぐるいざこざ、そして介護。時代が変わっても、呪いのように繰り返される人間同士のささくれだった関係性を、湊さんは、これでもかと示していく。義父母と共に暮らした人ならば、「あるある」とうなずくような。なかでも主調となるのは、介護はなぜ家庭内で、それも血のつながりのない嫁が担わなくてはならないのかという問いかけだ。
では男たちは何をしているのか。これが驚くほど何もしない。母親の老いを直視しようとしない、美佐の夫が典型で、同性の私からしてもイライラする。こうはなるまい、と思いながら読み進めるのだが、作中の別の登場人物のせりふにハッとした。
「男に母親の下の世話はできないよ」
だよね~、と納得している段階で、私も同類なのだろう。作中にはないが、容易に想像できる「じゃあ、誰がするのか」という突っ込みの声に、思わず耳をふさいでしまう自分がいる。
ここまで読まれた方は、『C線上のアリア』は「8050問題」などに鋭く切り込んだ社会派介護小説という印象を抱くかもしれない。待て、待て。落ち着いて考えよう。初稿を読む手が止まらなかったのは、そんな自省をうながす物語のせいだったのか。違う。
物語の序盤に魅力的な謎が出てくる。美佐が業者の手を借りて、やたらと厳重な金庫を解錠してみると(この解錠過程がまた、じりじりドキドキ)、実にありふれたものが出てくる。なぜ、こんなものが?
介護の担い手たちの心の声に耳を傾けながら読みふけっていたが、この小説はミステリなのだ。途中ですっかり忘れていた冒頭の謎は、思いも寄らない曲折の末に解きほぐされる。最終章を読みながら、「これはあれか~」「あれはここにつながるのか!」と声をあげる私に、同僚がけげんな目を向けていたことを、ここに書いておく。読み返してみて、序盤からのほんのささいな描写に、周到に伏線が仕込まれていたことに改めて気づかされた。
謎が解きほぐされることで、美佐をめぐる人間関係もまた解きほぐされる。湊さんが書き続けてきた、家族をめぐる「救い」の物語にまた一つ、代表作が加わった。
一冊の本 2月号
『C線上のアリア』 湊かなえ 著
朝日新聞出版より2月7日発売予定
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