※写真はイメージです(写真/Getty Images)
この記事の写真をすべて見る

 考古学の分野でも、合戦と城の研究は大きく展開している。

 従来は、城の測量図を製作するときに、航空写真では読み取れない城の細部の構造を図化するには、別途、人が手作業で測量するほかなかった。これでは高額な予算が必要で、山城の測量図も増えなかった。

 そこに航空レーザ測量が実用化された。測量会社によってさまざまな工夫がこらされたお蔭で、堀や土塁、曲輪の平場、出入り口など、城の平面はもちろん、三次元の立体構造も高精度に把握できるようになった。高精細な航空レーザ測量では、数センチの曲輪の段差も読み取れるほどである。

 私たちは航空レーザ測量によって、草木に埋もれた山城を、空調の効いた部屋で検討し、分析できるようになった。二一世紀の山城研究はインドア派でも支障がない。さらに従来の関ヶ原合戦の認識をくつがえす大きな発見があり、結果、関ヶ原合戦の全貌が大きく変わってきた。

 城郭考古学者・千田嘉博氏と中世史を専門とする歴史家・平山優氏の新刊、『戦国時代を変えた合戦と城』の対談部分より一部抜粋、改変し、航空レーザ測量データの読み解きから見えてきた、新しい「関ヶ原合戦」像を紹介する。

*  *  *

関ケ原の実態がレーザ測量で浮かび上がる

平山:いよいよ、関ヶ原合戦の本戦に話を進めます。まずお尋ねしたいのは、関ケ原の東軍・西軍の陣所跡に史蹟の石碑が立っていますね。実際のところ、これらの場所において、陣城(じんしろ)などの痕跡は確認できるものなのでしょうか。

千田:関ケ原の陣城の痕跡は近年、研究が飛躍的に進んだことで解明できるようになってきました。飛行機で上空からレーザ光線を地上に発射します。跳ね返ってきた厖大(ぼうだい)な三次元のデータを回収し、その中から葉っぱや木などの高さのデータをフィルターでカットして、地表の高低、凹凸だけを赤色の彩度と明度を使って高低差のわかる図面をつくれるようになったのです。

 これによって、従来、科学的に把握することが難しかった関ケ原一帯の陣所や城跡の様子が細かく、正確にわかってきました。

次のページ
知られざる関ヶ原の布陣