
松尾山城へ小早川秀秋はどう入ったか
平山:次に松尾山城です。関ヶ原合戦のときに確実に手が入ったとわかるのは松尾山城ぐらいです。まず松尾山城の歴史について教えてください。
千田:中世以来、関ケ原周辺で最も重要なのが松尾山城です。信長も関係していますし、臨時の城ではありません。松尾山城の航空レーザ測量図ができたことで実態が非常によくわかってきました。
松尾山城へは関ヶ原合戦場跡の北側から登ってくることになります。本丸を土塁が囲み、関ケ原の盆地へ本丸からは出られません。南側にはみごとな枡形(ますがた)があり、関ヶ原合戦が行われた大きな谷側からではなく、南側の小さい谷のほうから登り降りする城なのです。
城として使われていたのは中心の本丸とその周囲です。もともと道もなかった北側の尾根を少し降りたところには小規模な削平段が並んでいます。先に述べたように、大軍が布陣した軍勢の駐屯段です。そして決戦場になった側に道を確保しています。関ヶ原合戦では、本来の戦国期松尾山城の登城ルートとは全然違う使い方をしたことが見えてきたというわけです。