※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)

 なんらかの行動を取ると、その瞬間の苦しみは大きいですが、だらだらと何年も続く苦しみではないと感じます。行動を取ると、なんらかの結果が生まれますからね。その結果に対して、また、「静観するか、行動するか」を判断すればいいと思うのです。
 

 さて、おこたんさん。「何らかの動きを起こすべき」と書かれていますが、「何らか」のあてはありますか?

「世の中を見ていると、思い切って声をあげた側が損をすることが多いように思います」というのは、おこたんさんの感覚ですね。「そうだよねえ」とうなづいている人も多いかもしれません。「正直者がバカを見る」とか「真面目な人が損をする」という社会にしてはいけないと心底思います。

 もし、今、社会が「悪いことをしても権力があったり、声が大きかったり、狡賢かったりして、とがめられない」という社会だとしても、それをただ嘆いたり諦めたりするのではなく、「そういう社会を変えていこう」と思うことが必要だと僕は思っています。

 だって、完璧に理想的な社会なんて存在しないと思うわけです。いろんな所に問題があることが前提で、それをひとつずつ、粘り強く改善していくことが、生きていくことなんじゃないかと思っています。

 でも、やっぱり、それは、「正義感」とか「使命感」なんてものではなくて、「自分が納得できるかどうか」だと僕は思っています。

 さて、「何らか」の行動に関してですが、信頼できる教育委員会の先生が言った、「実際にその現場を見てみないと指導が難しい」というのは、当然の言葉だと思います。

 いくら、「女性主任がパワハラの言動を続けている」と言っても、「それは一方的な見方じゃないの?」とか「たいしたことはないんじゃないの?」と言われる可能性があるということですね。

「何らかの行動を起こす」時に、なるべく苦しみを少なくするためには、賢く行動する必要があると僕は思っています。

 必要なのは、証拠です。

 女性主任がどうパワハラをしているのか、アドバイスではなくダメ出ししかしないのか、どれほどの勢いで職員室で叱責していたのか、をすべて記録する必要があると思います。

 可能なら映像ですが、それはなかなか難しいでしょうから、録音でいいと思います。

 といって、パワハラが起こった時にスイッチを入れて録音するのは、無理でしょう。切羽詰まった状態では、そんなことはできませんし、相手の前でそんなことをしようとしたら、大変なことになるでしょう。

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