なぜこのような状況に至ったのか。関係者からたびたび聞くのは、異様といえるレベルのOB関与の実態だった。22年に京都市Pの会長だった大森氏はこう振り返る。
「日Pで何の役職もないのに、節目の会議には必ず顔を出し、場を取り仕切るOB(元日P会長)がいました。現役の役員たちは皆、その人物に従っている。京都市Pの退会を阻止するため、市の教育委員会に裏で働きかけをしたのも同じOBです」
OBの台頭はいつ頃から始まり、彼らはどのように力を増してきたのか。取材からは二つの注目点が浮かんだ。
一つ目は13年に行われた公益法人格の取得だ。公益性が高い事業を行う団体であることが明示されるが、公益法人の運営は規則が厳格で複雑なため、これにより現役保護者による運営が困難になった面がある。前出の大森氏はこう語る。
「日P会長は1、2年で交代するので、皆事情がわからないまま運営に携わる。公益法人格の運営維持は手に余り、OBに頼らざるを得なくなっていったのではないでしょうか」
肩書なしで影響力持つ
二つ目は16年の定款変更で創設された「特別会員」の枠だ。現役保護者だけでなく、役員経験者等も「特別会員」として日Pに残れるとするもので、かつ特別会員は役員にもなれることとなった。現在も13人の役員のうち5人が特別会員だ。以来、協議会で役員を退いた後も日Pに留まり、理事や参与を続けるOBは増え、そのうち肩書なしで日Pに影響力を持ち続けるOBも現れた。青羽被告も23年度は何の役職も持たなかった。
定款変更が行われた16年、「特別会員」の創設に反対して理事を退いた森川智之氏(横浜市PTA連絡協議会元会長)は当時、筆者の取材にこう語っていた。
「これまで日Pの役員は皆、どこかの地方協議会の会長でした。つまり地方協議会の信任を失えば役員を退かざるを得なかった。『特別会員』ができればこの原則が崩れ、OBが長年居座り影響力を持つことにつながりかねない。反対意見も多かったのに、議論は途中で打ち切られ、採決で承認されてしまいました」
昨今の日Pの状況を見ると、森川氏の不安は的中したと言えそうだ。
OBの力を排する動きもなかったわけではない。5年ほど前にも前年度の赤字を追及してOBの追い出しを試みた会長が、年度途中で辞任に追い込まれた話を関係者らから耳にした。
23年に解職された元会長の金田氏も、OBによる支配に抗(あらが)っていた。金田氏は言う。