矢が刺さったまま水辺を歩くオナガガモ。東京・上野公園の不忍池で

元祖「矢ガモ犯人」は元医大生 世紀末蔵出しワイド

 背中に矢が刺さったメスのオナガガモが東京都板橋区の石神井川で発見されたのは一九九三年一月。日本国内だけでなく海外メディアでも報道され、矢ガモは一躍、悲劇のヒロインになった。しかし、この珍騒動に、だれよりも恐れおののいたのは真犯人である。
 

 本誌が知る矢ガモ事件の真犯人は、当時、都内の私大医学部生で、現在三十代半ばのI氏。本人から直接話を聞いた医学部の元同級生が語る。「Iは首都圏に住む勤務医の息子でしたが、留年を繰り返していました。外見は身長一六〇センチ台後半で小太り。性格は残虐というより気弱なタイプでした」

 I氏は、いつも友人のU氏とつるんでいた。このU氏がガンマニアで、「ボーガンで鴨を撃とう」と持ちかけたという。「Iは料理とアウトドアが趣味でした。どのように羽を取って鳥をさばくかなど、知識は豊富でした。Iはマンションに友達を集めては、よく鍋料理をしていた。Uの話に乗ったのも、天然の鴨で鍋をやろうという軽い気持ちだった」

 さっそくボーガンを買ったI氏。その日の深夜、自宅から車で約五分の犯行現場に一人で向かった。

 「後で矢ガモが発見された場所より数百メートル下流の橋でした。川には鴨が群れていて、Iは川面の鴨に向かって、垂直に矢を放ったんです」

 その矢は見事、的中した。しかし、橋から川面までは七、八メートルあり、I氏は捕獲をあきらめて引き揚げた。その直後は、鴨を射たことを仲間内で得意げに語っていたが、半月ほどして全国紙が矢ガモの悲劇を報道。その救出作戦が全国的な話題になり、密猟に対する警察の捜査が始まると、急に青ざめた。

 「事件現場付近の公園に、ワイドショーや野次馬が詰めかけていたので、ふざけて『矢ガモ饅頭でも売れよ』と言ったんですが、Iは黙っていた。学校に行く以外は、マンションに引きこもっていましたね。顔色も悪くノイローゼ状態だったので、『黙っておこう』と仲間内でかばいました」

 矢ガモショックか、その年もI氏の成績はふるわず落第。結局、十年以上在学しても卒業できなかった。現在は、東京を離れ、ある資格を取るために専門学校に通学しているという。

 本誌はI氏、U氏に接触しようとしたが、

 「もう話したくない」

 とのことだった。

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