1億円の大貫さんポックリ、長男語る 世紀末蔵出しワイド
一九八〇年四月、大貫久男さんは東京・銀座で風呂敷に包まれた一億円を拾った。年末ジャンボの一等賞金が三千万円の時代である。その大貫さんが十二月二日、六十二歳で死去した。
大貫さんは、当時の記者会見で言っていた。「一億円が幸せにつながるかどうかは、人生が終わったときに初めてわかるでしょう」
その後の人生は、どうだったのだろうか。
家族や知人に聞くと、生活ぶりは実直そのもの。税金を差し引いた約六千七百万円のうち、約三千七百万円でマンションを買い、残りは老後に備えて貯蓄や生命保険に。ギャンブルや株にはいっさい手を出さず、トラック運転手として運送会社で働き続けた。
楽しみは、釣りとテニスと晩酌。大貫さんの知人はこう話す。
「栃木県の農家の出で、十一人きょうだいの十番目。食いぶちがなくて上京し、成功して家を構えることが目標だったんでしょう。苦労してきたから、自分しか信用しない感じがあった」
もっとも、テレビのバラエティー番組に出演するのは好きだったようだ。
「ビートたけしの『元気が出るテレビ』(日テレ)や『オレたちひょうきん族』(フジ)などにも出演しました。撮影現場では三原じゅん子さんと一緒になって、とても楽しそうでした。家にいるときとは違う笑顔でしたね」
と、長男の直哉さん(35)。
ただ、大貫さんは一億円の落とし主を相当気にしていたようだ。「株の仕手グループの資金」とも報道され、見えない影に怯えもした。マスコミに追い回され、「おまえは殺されるぞ」などという脅迫電話も、多いときは一日に百件ほどかかってきたという。
六十五歳まで仕事を続け、その後は夫婦で旅行に行ったり、趣味を存分に楽しむ予定だった大貫さん。十二月二日は、所属している釣りクラブの「納竿」大会に参加するため、静岡県伊東市に向かった。伊東駅で降り、数歩歩いたところで倒れた。心筋こうそくだった。直哉さんは言う。
「微妙なところですが、やっぱりどちらかといえば拾ってよかったのかな。一億円がなければ、家も買えませんでしたし。やり残したこともあるんでしょうが、幸せだったと思います」
知人も言っていた。
「自分の敷いた線路の上をマイペースに淡々と生きて、そのままぽっくりと死んだ。あの人らしいですね」