
自宅が損壊した地元メンバーもおり、佐藤さんは中止を覚悟していた。
しかし、話し合いのなかで、実行委員のひとりがポツリとこう漏らした。
「僕たちは、テニスボールを打ち始めたのだけれども……実は、とても楽しかった。周りからは『こんな大変なときにテニスなんて』と変な目で見られた。でも、僕はテニスのおかげで前を向くことが出来たから……。僕は今年の大会は開いてほしいと思う」
地震発生からまだ3カ月。市内ではようやく4月に水道が復旧したばかりで、下水道は応急工事すら始まっていない場所がほとんどだった。
こんな状況でテニス大会の準備などをすれば、非難されるかもしれない。そんな不安を抱えながらも、実行委のメンバーや選手たちは大会開催を願っていた。
佐藤さんは覚悟を決めて、こう声をかけた。
「できる範囲内で、今年もやりましょう」
大会には多額の資金が必要
テニスの大会は、運営費のほかにお金がかかる。海外から審判員を呼べば、日当と交通費はもちろん宿泊費や食事代もかかる。優勝したプロのテニス選手には賞金も準備しなければならない。
一方で、被災地の復興支援のための大会だけに、以前のように地元企業へ協賛金をお願いするわけにもいかない。大会事務局の若いメンバーらの提案を受けて、クラウドファンディングで資金を募ることもした。
そして9月に入り、愛子さまが観戦に訪れることが決まった。
もっとも、内々に知らされたのは数人の関係者のみで、9月20日に愛子さまの被災地訪問がニュースで報じられると大会関係者も驚いたという。
ところが、その翌日の21日から、能登地方を記録的な豪雨が襲ったのだった。

被災地への「お出まし」がもたらす力
豪雨によって各地で河川の氾濫や土砂崩れが起き、15人が亡くなった。
佐藤さんも、当時の様子をこう振り返る。
「私も豪雨の日は、大会の準備のために和倉温泉入りしていました。夜中には殴りつけるような雨になり、ホテルのガラスが割れるのではないかと思うほどひどい状況でした」