M-1の審査員にならないワケ
23年は、お笑いコンビとしてトークライブを6年ぶりに開催。好評につき24年も開催されたが、テレビで2人そろっての露出は今も極めて少ない。お笑い界に詳しい放送作家は麒麟の現状をこう明かす。
「大阪時代は笑い飯、麒麟、千鳥のトップ3で劇場を席巻し、関西のテレビ界で切磋琢磨(せっさたくま)していました。なかでも川島さんは大喜利力もあり、トークも抜群。このメンバーの中でも抜きんでたお笑い脳を持っていたと言われています。それが全国区になると、コンビでは後輩の千鳥に水をあけられ、さらに後輩のかまいたちにも追い抜かれてしまった。一方、ピンでの川島さんは情報バラエティーを中心にお笑いスパイスをまぶしていくというテレビ芸で安定したポジションを築いてはいますが、本当はもっとお笑い純度の高い番組をしっかりとやりたいと思っているはずです。年に一度のコンビでのトークライブは、まだ麒麟としての可能性を捨てていないとも見えますので、相方の田村裕さんにはもっと活躍してほしいところ。もう一度お笑い芸人として挽回するタイミングをずっとうかがっている状態でしょう」
もともと麒麟はM-1グランプリ第1回で無名ながら決勝に進出。「漫才に小説の要素を取り入れる」という革新的な漫才で、あの松本人志に「一番面白かった」と言わしめるほどのコンビだった。以後、無名の新人が決勝に出ることを“麒麟枠”と呼ばれるようにもなった、まさに漫才の申し子だったわけだ。
「実は笑い飯や千鳥よりも早くM-1で世に出たのが麒麟です。04年からは3年連続3位という好成績も残しましたが、結局は優勝できないまま大会を去りました。とはいえ、あの革新的な漫才で爪痕を残し、礎を作った功績は大きい。そういった意味でも、24年のM-1では新たに9人の審査員が発表されましたが、そこに川島さんの名前がないのは非常に残念でしたね。審査員の顔ぶれを見ても川島さんにオファーが行ってないわけはないと思いますし、川島さんなら審査員長をやっても誰も文句は言わないでしょう。漫才師としてはほぼ引退同然の身であるということが大きく影響したとしか思えません。M-1の申し子だったわけですから、審査員として大会に戻ってきてほしいと思うお笑い関係者も多い。その第一歩として、まずは麒麟の新作漫才を見てみたいですね」(前出の放送作家)