妹の律子さん(左)と本田さん(美枝子さん提供)

「いつもお姉ちゃんに守られていました」

 仕事が休みの日には畑仕事をして過ごしたという。

「ウチの近くの畑を借りて、ダイコン、ナス、ピーマンなどを作っていました。お姉ちゃんはミュージカルの1部と2部の合間に、畑のダイコンを引っこ抜いて、鍋料理を作って、出演者に振る舞ったこともありました」(美枝子さん)

 妹から見て、本田さんはどんな姉だったのだろうか。

「小さい時は、3つ折りのマットレスを『コ』の字に立てて、カーテンをかけてお店っぽくして、駄菓子屋さんごっこをしていました。鬼ごっこをすると、私が捕まっても鬼にはならず、『おみそ』(鬼になることを免除すること)にしていた。私を鬼にさせるのがすごく嫌だったみたいです。いつもお姉ちゃんに守られていましたね。中華丼のウズラの卵の取り合いにはなりましたが、ジャンケンをして、だいたいお姉ちゃんが勝つ。それでも、私にウズラを絶対にくれた。すごくやさしくて、私にはめちゃくちゃ甘かったです」(律子さん)

 88年1月、本田さんは女性だけのロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成。律子さんは19歳のとき、「ワイルドキャッツ」のお付きをしていたという。

「基本はお姉ちゃんのお付きでした。飲み物を飲むときに、ペットボトルにストローを刺して舞台袖で待っていました。仕事のときはすごく厳しくて、私は『美奈子さん』と呼んで、敬語を使うように言われていました。だけど、仕事が終わって同じホテルの部屋に帰ると、ドアを開けた瞬間、『リッコー』とお姉ちゃんモード全開になっていました」

左から小1くらいの本田さん、母の美枝子さん、幼稚園頃の妹の律子さん(美枝子さん提供)

 その後、本田さんはロックバンドを解散し、ミュージカルの世界に飛び込んでいく。1年半のロングラン公演となった「ミス・サイゴン」、西田敏行さんと共演した「屋根の上のヴァイオリン弾き」、サザンオールスターズの桑田佳祐が主題歌を担当し岸谷五朗が脚本、演出を手がけた「クラウディア」などの舞台で好演した。

 その一方、2002年からはクラシック音楽にも挑戦。04年12月にクリスマスコンサートを開催したのがラストコンサートとなった。この頃、美枝子さんは本田さんの病気の予兆を感じていた。

「私とお姉ちゃんは、その頃も一緒にお風呂に入っていました。大人になっても、背中を流し合いしていました。律子ともそうだし、お風呂では『最初はグー、ジャンケンポン』とか、『あっち向いてホイ』をして遊んでいました。04年の12月頃、私が『先に(お風呂を)上がって待っているよ』と言うと、『ちょっとお母さん待って、めまいがするから』と言っていたんです。今振り返ると、あれが兆候だったんじゃないかと思うんです」

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