「私が痛がっているのをお母さんに見せたくない」
翌年の05年1月、本田さんは検査で急性骨髄性白血病と診断され、緊急入院。コンサートの予定も全てキャンセルになった。本田さん自身も医師から病名を告げられ、無菌室に入って闘病生活を送ることになった。そして抗がん剤治療が始まった。
「入院中、注射針を刺して、髄液を取って調べるんです。それが超がつくほどの激痛だったみたいで……。だから髄液を取る時は『私が痛がっているのをお母さんに見せたくないから、時間を遅らせて来て』と言っていました。病室から東京タワーが見えたんですが、それが『注射針に見える』とも言っていました」(美枝子さん)
母は毎日、病院へ通った。本田さんは最初の2カ月間はガラス越しに電話で話をする「無菌室」にいたが、その後、直接面会のできる個室の「準無菌室」に移動した。
「お姉ちゃんは、雨が降っているときは『滑るから来ないで』とか、階段を上がるときに裾を踏んでしまうので『長いスカートははいて来ないで。お母さん、危ないから』って、いつも私のことを気づかってくれました」(同)
7月末には一旦体調が回復して退院し、1カ月ほどを自宅で過ごした。母娘に希望が戻って来た瞬間だった。
ところが、検査で再発したと診断され、9月初旬には再入院。その頃にはかなり悪化し、白血病細胞が増え、手先が内出血して黒ずみ、痛みがあらわれる末期状態になった。11月に入って間もなく、美枝子さんが病院へ行くと、昏睡(こんすい)状態になっていた。そして11月6日の午前4時38分、本田さんは天国へ旅立った。
「私とお姉ちゃんはよく、近所を散歩していたんです。亡くなる2カ月前、再入院する前日も一緒に散歩をしました。砂利道に差しかかったとき、お姉ちゃんは『足が石にあたる感覚がいい』『風にあたるのは素晴らしい』と言っていました。ちょうど、満月でね。『今度はいつ見られるのかしら』とも。まさか本当にあれが最後の散歩になるなんて……」(美枝子さん)
朝霞市には、本田さんゆかりのスポットが数多くある。東武東上線「朝霞駅」南口駅前広場には「記念碑」があり、「朝霞台駅」から車で5分くらいのところには2018年に開館した「本田美奈子.記念館」がある。
「これまでは不定期でしたが、来年からは日曜以外は毎日開館する予定です」(濱田大館長)
さらに東京・板橋区の「下赤塚駅」北口から徒歩2分のところにファンが集うバー「AELL375」があり、ギターの弾き語りなどもできる。同店に来ていた女性客は「母がテレビで美奈子ちゃんが出演する歌番組を見ていて、15年前からファンになりました」、別の女性は「私はデビューからのファンです。19年たっても美奈子さんのファンクラブがあるんですよ」とうれしそうに話した。
本田さんが私たちにくれた笑顔と歌声は、今日も誰かを幸せにしている。
(AERA dot.編集部・上田耕司)