芸名の「本田」に込められた意味
現在の自宅は、もともと住んでいた家を35年前に建て替えたものだという。妹の律子さんは、姉と一緒に暮らした部屋について、こんな秘話を明かしてくれた。
「私たち姉妹の部屋は、自宅の2階にそれぞれ独立して1部屋ずつありました。でも、私とお姉ちゃんはあまりにも仲が良すぎて、ドアは別々についているんですけど、真ん中の壁をアーチ状にぶち抜いたんです。だから、壁の穴から通り抜けもできましたし、お互いの部屋が見えました。設計のとき、2人ですぐに行けるようにと考えたんです」
本田さんは1967年7月31日、東京・葛飾区で生まれ、3歳の時に一家で朝霞市に引っ越した。83年7月、友人とショッピングで訪れた原宿でスカウトされ、芸能界に入った。
そして85年4月、「殺意のバカンス」で歌手デビュー。同期には森口博子、南野陽子、中山美穂、井森美幸、斎藤由貴、石野陽子ら、そうそうたるアイドルがいる。そんな中、本田さんはデビューの年に日本歌謡大賞・優秀放送音楽新人賞を受賞。翌年には、へそ出しルックが話題となった「1986年のマリリン」が大ヒットし、一世を風靡(ふうび)した。
「ヘソ出しはお姉ちゃんのアイデアです。長方形のきれいなおヘソなんですよ」(律子さん)
当時の所属事務所「ボンド企画」社長だった高杉敬二氏(現・BMI社長)はこの曲の舞台裏をこう明かす。
「本田は自分がアイドルと言われる中で、アイドルという言葉に抵抗感があったんです。アーティスト志向が強い人でしたから、アイドルの殻を破りたかった。『1986年のマリリン』は『ファッションとダンスは私に考えさせて』と言われたので、『じゃあそうしよう』と。それで思い切って、アイドルらしからぬヘソ出しスタイルと振り付けに挑戦することになったんです」
「本田」という芸名は高杉氏がつけた。
「世界のホンダですからね(笑)。マツダと言えば松田聖子さんがいますし。世界のどこへ行ってもホンダは知られていたので、世界を夢みてつけました。私は本人がやりたいことをやらせていたので、本人が個性を磨き上げて、ちょっと変わったアーティストになっていった。私らが個性を作れるわけではないですから」(高杉氏)
美枝子さんはデビュー当時の本田さんの暮らしぶりをこう振り返る。
「高校2年でデビューしてから5年間は事務所の社長ご夫妻の家に下宿していましたが、その後は、ウチから仕事に通うようになりました。何しろ、お姉ちゃんはウチが好きで、私といるのが好きなんです。仕事が終わると、夜中でもご飯を食べないで帰って来るから、ご飯を作って待っていましたね」