歌手の本田美奈子.さんが急性骨髄性白血病で死去したのは、2005年11月6日。38歳の若さだった。毎年、命日には本田さんが3歳から過ごした埼玉県朝霞市にある墓前にファンが献花に訪れる。逝去から19年となった今年の11月6日、筆者は朝霞市を訪ね、実母と妹に改めて本田さんと過ごした日々への思いを語ってもらった。
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11月6日、筆者は事前の承諾を得た上で、朝霞市にある本田さんの実家を訪ねた。出迎えてくれたのは、母の工藤美枝子さん(83)。玄関のドアが開くと、廊下や階段の壁には、本田さんの写真やカレンダー、受賞トロフィー、肖像画が所せましと飾ってあった。
美枝子さんは「お姉ちゃんが、ここにいるみたいでしょう」と笑顔で記者を室内に通してくれた。
美枝子さんにとって、本田さんは長女。3歳下の妹・律子さん(53)と家族3人で暮らしていた。美枝子さんは今でも本田さんのことを「お姉ちゃん」と呼ぶ。
「私としては、お姉ちゃんがまだ亡くなった気はしていないんです。心の中にいつもいるんですよ。海外とか、遠くでお仕事をしているんじゃないかなって。たまに、テレビでお姉ちゃんの映像が出たりすると、『あっ、元気でやっているんだな』と思ってしまうほど。私はめったに夢を見ないんですけど、夢を見るときはたいてい、お姉ちゃんが舞台に立っているところなんです」(美枝子さん)
美枝子さんは今年の命日をどう過ごしたのだろうか。
「広祥寺(朝霞市のお寺)にお墓参りに行ってきました。妹の子どもたち、お姉ちゃんの事務所の社長ご夫妻とお嬢さんらが集まってくれました。みんなで写真を撮ってから、食事をして、それから私の家に来て、またいろいろと思い出話をして過ごしました。社長ご夫妻は今でも月命日にお墓参りに来てくださっているんですよ」
今年も、墓前にはたくさんの献花が供えられていた。
「ファンの方が手向けてくれた花なんでしょう。19年もたっているのに、忘れないでいてくれて本当にありがたいことです。命日の前日には、(歌手の)坂本冬美さんからウチに胡蝶蘭が贈られてきました。冬美さんは毎年、花を送ってくださるんです」(同)
本田さんの部屋は自宅の2階で、今もそのままになっている。
「ベッドやじゅうたんはそのまんま。お布団は夏になったら夏掛けにして、枕元に置いてあるパジャマは1週間に1回、洗っています。見つけると幸せになると言われる4つ葉のクローバーのじゅうたんは、お姉ちゃんのお気に入りでした。旅行先で草むらを見つけると、必ず4つ葉のクローバーを探し始めていましたね」(同)