「大阪でもマイクを握ってほしかった」
中野氏は、小池知事に向かって、ひれ伏さんばかりに何度も頭を下げ、演説を終えた小池知事がトラックの荷台に設置された階段を降りるときには下で待ち構え、また頭を下げた。
そのおかげか、中野氏は、維新の候補者に約1万票差をつけて勝つことができた。小池知事は兵庫2区でも応援演説を行い、そこでも公明候補が勝利した。
A氏は言う。
「公明党と小池知事の緊密な関係は、国会議員時代から都知事になっても続いている。衆院選の終盤の情勢調査などから、大阪の小選挙区は維新相手にあまりに劣勢、それなら勝てる確率が高い兵庫の2つで小池知事に応援を頼もうと決まった。兵庫の2つとも勝利したというのは、小池知事のダメ押しが効いて、うちの組織票がより固まったから。そのおかげもあって、中野氏は国交大臣ですよ。小池知事に頭を下げまくってよかった。大阪で落選した候補者の一人は『尼崎まで来ているなら、ぜひ大阪でもマイクを握って欲しかった』と嘆いていた」
「常勝関西」で衝撃的な惨敗
公明党には「常勝関西」という言葉があり、これまで大阪や兵庫の選挙区では圧倒的な強さで議席を守ってきた。それが今回は大阪で全敗し、公明に衝撃を与えた。
関西の公明党地方議員がこう話す。
「大阪の4つの小選挙区を落としたことで、常勝関西のメンツは丸つぶれです。私が応援に入った大阪の小選挙区の候補者は、落選が決まると真っ青な顔で、かける言葉も見当たらないほど憔悴していました」
大阪でも、とりわけ大阪市西成区などが含まれる大阪3区は創価学会の「聖地」と呼ばれる。創価学会の故・池田大作名誉会長が西成区に滞在して布教活動や政界進出の陣頭指揮を執り、1956年の参院選で初めて学会が推す候補を政界に送り出した場所だ。
その大阪3区で、公明は当選10回の佐藤茂樹党副代表が出馬。自民党も近畿ブロック選出の前衆院議員、柳本顕氏が出馬の意向を見せたが、公明党の要請で断念。自公が協力して議席維持を目指したが、参院議員からくら替えした維新の東徹氏に2万票以上の差をつけられ敗北した。
大阪で惨敗しただけに、公明にとって、兵庫の2議席獲得は大きいものだった。