ただ僕は、道を拓こうと何度も手を挙げ続け、打席に立ち続けた。そんなアプローチの中に一つくらい、想いが伝わる部分があるんじゃないか、そう信じている。
そして、この本では決して、「エリートコース」や、裕福な家庭の批判をしたいわけではないことは、最初に断っておきたい。どんな家庭に、どんな地域に生まれても、スタートラインに立つことができる人が一人でも多くあってほしい、あるべきだ、という想いが根底にある。恵まれた環境の人たちを批判しても何も変わらない。
だから、この本を読んだ後に「エリートコース」や裕福な家庭を批判するような考えを持ってほしくはない。きっと誰しもが、自分の子どもに、より良い選択肢を、と願っているはずだ。僕だってそうだ。社会経済的に優位で、その多くを実現できた人や家庭を批判するのはおかしい。
問題意識を向けるべきは、そうでない環境に生まれた子どもたちが、自分の能力を最大限発揮する機会に恵まれないことであり、自分の努力と才覚だけでは、レースのスタートラインにさえ立てないことがある、という事実だ。
「教育格差」に関する指摘や議論はなされている。僕自身もそうした社会の構造を少しでも変えて、どんな社会経済事情のもとに生まれても、誰もがスタートラインに立ち、人生を切り拓いていける未来に貢献したい。それが僕の人生の大きなテーマの一つだ。
ただ、当の本人たちからすれば、僕たちがそうした議論をしている間にも日々は刻々と過ぎていく。誰かの真似でも、不格好でも構わない、綺麗ごとなんて抜きに、とにかく何とかして、「自分が」スタートラインに立つために動き出すしかない。
このレースはおかしい! そう気づいても、いくらそのことに声を上げても、その瞬間を生きる「僕の人生」は変わらなかった。自分の今を変えたければ、僕たちの未来を変えたければ、何としてでも「自分自身が」まずスタートラインに立つしかない。
この本が、どこかでスタートラインに立とうともがく、かつての僕のような誰かにとってのケーススタディの一つになってほしい。