31年前の斉藤由貴

「本当に学ばない人間なんだな」と自己分析

 ではなぜ、彼女は例外的存在でいられるのか。

 筆者は4年前、本サイトで「三度の不倫報道でも消えない 斉藤由貴に世間が優しいのはなぜか?」という記事を書いた。自身で行ったインタビューでの印象や、それ以外での彼女の過去発言などから、その打たれ強さの謎をひもといたものだ。その際の見解に新たな解釈を加えつつ、もう一度ひもといてみたい。

 よく知られているように、彼女はモルモン教徒であり、また、子どもの頃から芸術家志向だった。それゆえ、健全と退廃、モラルとインモラルといった両極端なものに惹かれるところがあり、不倫をするにしても、官能的な満足だけでなく、魂のつながりを欲してきたことが感じられる。

 たとえば、尾崎豊とのときには「同志みたいな感じなんです」、川崎麻世とのときには「傷をなめ合う仲」だと説明していた。さらに、川崎とのときには、

「前の人とのことがあったにもかかわらず、本当に学ばない人間なんだなと自分のことながら悲しい気持ちです」

 という名言を残すわけだが、じつはこのとき、彼女は自分が「学ばない人間」であることを学んだのだ。というのも当時、こんな自己分析もしていた。

「宗教の重荷がなかったら自分がどこかへ飛んでいっちゃうから。逆にそういう重荷があるからこそ、自分が飛んでいこうと思ってあがくのかもしれない。(略)モラルとかインモラルとかいう言葉にしても、そのふたつが離れているほど、よりドラマチックな生き方になりますよね」(「VIEWS」)

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老後に「友達」って本当に必要? 改めて「人とのつながり」について考えたい時に読む本
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インモラル=退廃の側へ