10月14日のこの日、安田淳一は、大ヒットしている『侍タイムスリッパー』の監督として出演した役者とともに都内三館の舞台挨拶に回っていた。
ここ数日ほとんど寝ていない。というのは、本業の農業が稲刈りの時期にさしかかっており、稲刈りの作業と、大ヒット中の映画のプロモーションとで、いくら時間があっても足りないからだ。朦朧とした状態で、銀行のキャッシュカードの暗証番号が思い出せなくなり、三度間違えてロックがかかってしまった。
この『侍タイムスリッパー』は、本業の農業のかたわら自主制作映画をつくり続けた安田が、私財を投じて撮影した作品。東映京都撮影所の時代劇のオープンセットや小道具を繁忙期の合間という約束で破格の費用で使わせてもらい、低予算で撮影したSF時代劇だ。
『カメラを止めるな!』もそうだったが、なにしろ、主役の会津藩士役の山口馬木也やその敵役の長州藩士役の冨家ノリマサをはじめ、出演している役者に見知った顔がまったくない。にもかかわらず、8月からたった一館で始まった興行は、公開館数314館にまで広がっている。
その日最後の舞台挨拶で訪れたのが、その最初の一館、池袋の西口にある「池袋シネマ・ロサ」だった。
今回は、池袋の潰れかかった単館の映画館が「自主制作映画の聖地」という戦略をとることで、見事存在感を持って生き延びているという話。
シネコンに押された 単館がとった戦略
シネマ・ロサの支配人をつとめる矢川亮(りょう)がアルバイトとしてこの劇場で働き始めたのは2000年のことだ。実はこの年は、池袋の単館映画館にとっては、試練の最初の波がやってきた年でもあった。
東武練馬駅北口に、池袋の商圏では最初のシネコン、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋(現イオンシネマ板橋)がオープンした年だった。それまで池袋の単館にまで映画を見に行っていた人たちは、12スクリーン、計2326席を持つこのシネコンに、流れ始めたのだった。
1968年に竣工した「ロサ会館」の一画にある「シネマ・ロサ」は、その頃、ロードショー館としてふたつあるスクリーンに新作をかけていたが、池袋でもテアトル系二館が廃業するようになると、売上は目に見えて減っていた。
シネマ・ロサは、夜毎に、その日の売上を勘定してしめる。矢川が、働き始めた2000年から比べても、その売上は、3分の2になりやがてもっと減った。