中日・平田良介も10代で日本シリーズに出場
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 今年は10月26日からプロ野球日本シリーズが幕を開ける。今年で75回目となる頂上決戦の歴史を振り返ってみると、10代で日本シリーズに出場し、注目を集めた選手も少なくない。

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 その先駆者的存在が、西鉄・豊田泰光だ。1953年、高卒1年目でショートのレギュラーになった豊田は翌54年、19歳8カ月で中日との日本シリーズに出場した。

 2番ショートで出場した豊田は、1、2戦とも無安打に終わり、チームも連敗。第3戦から7番に下がると、2試合連続安打を記録し、チームも連勝して2勝2敗のタイに。

 だが、第5戦では、同点の8回に右中間三塁打を放った河合保彦が一気に本塁を突いた際に、豊田の本塁悪送球で勝ち越し点を許し、王手をかけられてしまう。

 第6戦も5回まで0対1の劣勢。この試合でも、豊田は3回に先制点につながる一塁悪送球を演じていた。

 1点を追う西鉄は6回、主軸の3連打で同点としたあと、なおも1死二、三塁で、豊田が左中間に2点タイムリー二塁打を放ち、これまでのミスを挽回。勝利の立役者になった。

 第7戦は0対1の惜敗で、日本一を逃したものの、西鉄は豊田、中西太、稲尾和久の主力が円熟期を迎えた56年から3年連続日本一を達成し、黄金時代を築き上げた。

 巨人ルーキー時代の王貞治も59年、19歳5カ月で日本シリーズに初出場、杉浦忠、野村克也がバッテリーを組む南海と対戦した。

 王は第1戦、7点ビハインドの9回に先頭打者として代打で登場。四球で出塁し、直後の味方の猛攻を呼び込んだが、7対10で敗れた。第2戦では7番ファーストで先発出場。2対6の7回1死、杉浦からシリーズ初安打となる右翼線二塁打を放ち、次打者・森昌彦の左前安打を穴吹義雄が後逸する間に3点目のホームを踏んだ。

 だが、第3戦では2打席連続三振に倒れ、途中交代。第4戦では出場機会のないまま、チームも4連投の杉浦の前にストレートの4連敗を喫した。

 王にとってはほろ苦いシリーズデビューとなったが、2年後の61年、王は第6戦で先制2ランを放つなど、16打数5安打と主軸の役目をはたし、4勝2敗で南海に雪辱している。

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日本シリーズ史上最年少で出場したのは?