史上最年少の18歳1カ月で出場したのが、東映・尾崎行雄だ。
62年、浪商を2年で中退してプロ入りした“怪童”は、いきなり20勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。阪神との日本シリーズでも、第1戦の9回2死からリリーフ。ソロムコを投ゴロに打ち取り、一打サヨナラのピンチを切り抜けた。
だが、5対5の延長10回、投手の村山実に四球を与えるなど、制球が乱れ、1死一、二塁から吉田義男に決め球の外角直球を右翼線に運ばれて負け投手に。第2戦以降は登板なく終わり、51年に南海・服部武夫が記録した最年少勝利投手(18歳10カ月)を更新することはできなかった。
18歳9カ月で先発投手になったのが、66年の巨人・堀内恒夫だ。
開幕から無傷の13連勝を記録し、16勝を挙げた堀内は、南海との日本シリーズでも、巨人が先勝したあとの第2戦に先発した。
1回表、マウンドに上がった堀内は、投球練習の1球目にバックネットを直撃する大暴投を演じ、気持ちを落ち着かせようとした。
だが、変化球が思うように決まらず、1死から安打と味方のエラーで一、三塁のピンチを招くと、野村克也の右越え二塁打などで2点を失った。結局、4回途中2失点で負け投手になり、第3戦以降、出番なしで終わる。
この屈辱をバネに翌67年、阪急との日本シリーズでは、第2戦で1対0の完封。19歳9カ月でシリーズ初勝利を挙げている。
華々しい活躍を見せたのが、西武ルーキー時代の清原和博だ。
86年、高卒1年目で打率.304、31本塁打、78打点を記録し、シーズン最後の4試合で4番を打った19歳2カ月のスーパールーキーは、広島との日本シリーズでも4番ファーストで出場。第1戦では2安打とチームの全2得点を記録し、第4戦でも四球、エラーも含めて4打席すべて出塁と存在感をアピールした。
そして、1勝3敗1分で迎えた第6戦で、大野豊から右中間に待望のシリーズ1号。第7戦でも初回に先制打を放ち、自らのバットで逆王手のタイに持ち込むと、第8戦でも8回に勝ち越しの呼び水となる中前安打を放つなど、3安打を固め打ちし、打率.355をマーク。初戦引き分けのあと、3連敗から4連勝という奇跡的な日本一に貢献し、優秀選手に選ばれた若きヒーローは「苦しい1年でした。でも、今日の優勝がすべてですね」と会心の笑顔を見せた。