ノーベル賞受賞者、オリンピック金メダリスト、日本の総理大臣。間違いなく注目を浴び、歴史上の人物として後世まで語り継がれる存在となる。教科書に載ってもおかしくはない。
これら3者を送り出した高校が二つあることをみなさん、ご存じだろうか。
東京都立日比谷高校、神奈川県立横須賀高校である。詳しく見てみよう。
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「三冠王」高校は、どちらも公立
◆東京都立日比谷高校
1932年、西竹一(にし・たけいち)はオリンピックロサンゼルス大会馬術大障害飛越競技で金メダルを獲得した。馬術競技としては今日まで唯一の金メダリストである。西は1902年生まれ。日比谷高校の前身、東京府立第一中学校に1915年に入学した。その後、広島陸軍地方幼年学校に入り直し、馬術競技に取り組むようになった。オリンピックが終わってから、陸軍では大佐まで昇進したが、1945年に硫黄島で戦死した。アメリカでは日系アメリカ人のあいだで「バロン西」と呼ばれたことがあった。
1939年8月、阿部信行が内閣総理大臣に就任した。阿部は1875年生まれ。日比谷高校の前身である旧制の東京府尋常中学校を卒業後、第四高等学校(現、金沢大)に入学したがやがて中退し、陸軍士官学校に入り直した。陸軍大学校を経て、陸軍では出世街道をひたすら突き進んで、最高位の陸軍大将にまで登りつめる。その後、政界入りして、総理のいすに座ることができたが、その期間は短かった。政府の方針が陸軍の支持を得られず、1940年1月に総理大臣を辞任する。阿部内閣はわずか140日だった。
1987年、利根川進はノーベル生理学・医学賞を受賞した。利根川は1939年生まれ。1958年に日比谷高校から1年浪人して京都大に進んだ。カリフォルニア大学サンディエゴ校で博士号を取得し、マサチューセッツ工科大教授などをつとめる。日比谷高校時代をこう振り返っている。「優秀な生徒がたくさんいて、成績はいつも真中より少し上くらい。小学校からずっとトップでしたからびっくりしましたね。旧制中学のなごりか、授業は先生と生徒が質疑応答する自由な雰囲気で進められ、文系と理系の区別もなく、様々な教養を身につける良い機会になりました」(JT生命誌研究館「生命誌」79・80号 2014年)