医師として、宇宙飛行士の健康管理や、病気やケガの緊急対応などを担うフライトサージャンという仕事があります。いわば「宇宙飛行士専門のお医者さん」です。JAXAに在籍する6人のフライトサージャンの一人である樋口勝嗣医師へのインタビューを、発売中のAERAムック『医学部に入る』より紹介します。
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「宇宙飛行士になりたい」
幼いころにそんな夢を抱いても、成長の過程で自然にあきらめる人は少なくない。実際に宇宙飛行士選抜試験にチャレンジしようと考えたとしても、試験は10年に1度程度。倍率はとんでもなく高く、ほとんどの受験者は涙をのむ。樋口勝嗣医師もその一人だった。
「2008年にJAXAの宇宙飛行士選抜試験の募集を知りました。私は関西の病院の神経内科で働いていて、宇宙とは無縁の生活。でも宇宙飛行士は子どものころからの夢だったし、次の募集はいつあるかわからない。30代半ばでしたから、最初で最後のチャンスと思って挑戦しました。が、1次試験であっさり落ちました(笑)」
しかし運命とは不思議なもので、樋口医師の人生はここから思わぬ方向に動き始めたのだ。
宇宙と無縁の人生でいいか?
選抜試験が終わってしばらくしたころ、2次試験で落ちた医師から連絡があった。「JAXAがフライトサージャンを公募しているけど受けない?」と。
フライトサージャンという仕事があるのは知っていたが、自分の仕事と考えたことはなかった。インターネットで調べると、医師であること、専門性を身につけていること、英語が堪能であることという応募条件には当てはまる。そこで、ツテをたどって現職のフライトージャンを紹介してもらい、JAXAのある茨城県つくば市まで話を聞きに行った。
「よく誤解されますが、フライトサージャンは宇宙に行けるわけではありません。裏方仕事が中心だし、生活拠点をつくば市やアメリカに移す必要もある。僕には家族もいるし、総合病院の神経内科医長のキャリアを捨ててまで挑戦していいのか、真剣に悩みました」
それでも、宇宙は夢だった。
「ここでやめたら、僕の人生は宇宙と完全に無縁になる。あきらめきれるのか? そう自分に問うたとき、『それは嫌だ!』と心から思ったのです」
しかし、家族の理解も得て受けた試験は不合格。この敗北が樋口医師を奮い立たせた。
「絶対にフライトサージャンになろうと決めました」
次の募集がいつかわからないなか、日本宇宙航空環境医学会に入って認定医の資格をとり、学会にも毎年出席した。年に1度の筑波宇宙センターの特別公開にも出席し、宇宙医学のコーナーで「今年も来ました!」とアピール。英語の勉強も怠らなかった。
その熱意が伝わったのか、フライトサージャンの欠員が出たときに声がかかった。もちろん「やります!」。宇宙飛行士試験に落ちてから、7年の月日が流れていた。