無茶振り気味に何らかの課題を与えられて、それに答えなくてはいけないというのは、プロの芸人であってもなかなか過酷なことだ。そこでしっかりした答えを返すのは簡単なことではない。でも、この番組では、そんなことは重々承知の上で、必死になった芸人がそこで何を絞り出すかというのが問われている。
このハードな企画が成立しているのは、ジャッジを務めているのが内村だからだろう。内村が温かい目で見守っているからこそ、芸人たちも萎縮しすぎることなく、堂々と自分のパフォーマンスができる。
ゆるいがゆえに難しい
大雑把に分類するなら、『内村プロデュース』の笑いは、東京っぽい笑いである。大阪の笑いでは、もっと明確にオチをつけることが求められる。トークや大喜利なら自分で最後まで走り切るのが大原則であり、それができない場合にはチームプレーでほかの芸人がツッコんだり、イジったりすることでオチをつける。みんなが1つのボールを持ってまっすぐ目標に向かっているイメージだ。
東京の笑いは必ずしもそういうスタイルではなく、もっと自由でつかみにくい。それぞれが自分のボールを持って、あらぬ方向に投げ合う。他人のボールを拾いに行くこともしない。スベっているような状況をあえてしつこく続けることもあるし、前振りもなくいきなり変なことをやることもある。それがそのまま失敗することもあれば、結果的に面白くなることもある。
何でもありのゆるい状況だと感じるかもしれないが、はっきりしたゴールがないのに笑いは取らないといけない、というのはかえって難しいとも言える。
ここにはお笑いにおける2つの流派がある。きっちりやる美学と、あえてきっちりやらない美学。『内村プロデュース』は後者寄りの番組だった。だからこそ、そこには今の時代にも通用する新しさと強さがあったのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)