引退した青木宣親も将来の監督候補といわれる

見送られた古田氏、宮本氏の「待望論」

 高津監督と同様に故・野村克也元監督の門下生だった古田氏、宮本氏は「監督待望論」が強いが、実現しなかった。古田氏は選手兼任監督で2年間指揮を振るったが、06年は3位、07年は最下位に低迷。同年オフに退団すると、17年たった現在までユニフォームを1度も着ていない。宮本氏は18年に1軍ヘッドコーチに就任。次期監督の有力候補とみられたが、16連敗を喫するなど最下位に低迷した19年のシーズン限りで、当時の小川淳司監督(現ヤクルト球団GM)とともに辞任。当時2軍監督だった高津監督が20年から就任した。

「宮本さんは選手に厳しい姿勢で接していましたね。就任した当初はチームが低迷していましたし、個々の意識を変える必要があると感じたのでしょう。小川監督が穏やかな性格だったので、宮本さんは自分が嫌われてもチームが強くなればいいと覚悟を決めた部分があったと思います。特に高卒で入団した村上には厳しかった。球界を代表する選手になれる資質があるからこそ、野球に向き合う姿勢を口酸っぱく指摘していました。若手の中に宮本さんを煙たがる選手がいたのは事実です。どん底の最下位に沈んだ19年は小川監督が退任し、宮本さんは残る選択肢がありましたが、責任感が強い人なので身を引いた。宮本さんがいなくなってから、年を重ねた選手から『厳しい言葉を言ってもらった意味が今になって分かります』と感謝の言葉が聞かれ、その教えは生かされているように感じます。監督として低迷するチームを変えるには適任の人材だと思いますが……」(スポーツ紙デスク)

 指揮官には、「チームを育てる監督」と「チームを勝たせる監督」の2つのタイプがいる。野村元監督は前者だろう。ヤクルト時代は育成と勝利を両立し、90年代に「ID野球」で黄金時代を築いた。阪神楽天の監督時代は低迷期から抜け出せなかったが、若手を一本立ちさせてチーム力を上げた。楽天就任4年目の09年は2位だったが、球団から契約延長の打診はなく志半ばでチームを去った。両球団はその後、いずれも星野仙一監督の下でリーグ優勝を飾っている。星野氏は「勝たせる監督」の代表格と言えるだろう。

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