だが、舞台上ではそんな性格は姿を消す。はじめてコンクールで踊ったのは、「ドン・キホーテ」の主役、キトリ。キトリは太陽のように明るいスペインの女性の役だ。母は当時の様子を語る。

「家ではドン・キホーテの公演のビデオを最初から最後まで何回も見ていました。キトリの性格は茜とは真逆でしたが、小学4年生での埼玉全国舞踊コンクールではお友達や先輩と一緒に出られたのが嬉しかったようで、素人の私でも分かるほど、喜びいっぱいに踊って優勝することができました」

 学校から帰ると、祖母の作った海苔(のり)巻きをおやつ代わりにし、昼寝をしてからレッスンに向かう。舞台のレッスンに行き、終わったら発表会の練習と、連日、夜遅くまで踊った。バレエの映像をひたすら見て勉強し、このころには表現性の高い英国ロイヤル・バレエ団の舞台に憧れていた。1年に何回もコンクールに出場しては数々の賞を受賞し、バレエダンサーへの道を突き進んだ。

 初めて大きなけがをしたのは、小学6年生の時だった。舞台のリハーサルの最中、膝に痛みが走った。思わず叫んで倒れこみ、膝を見ると、皿の位置が横にずれているのが分かった。病院にいくと左膝内側靭帯(じんたい)損傷と診断を受ける。複数の舞台を控えていたが、出演はすべてキャンセル。それから1年ほどギプスをつけたままの生活となった。

「踊れないことはつらかったのですが、ずっとバレエばかりで友達と遊ぶ時間がなかったので、遊ぶ時間ができたのは嬉しかったです」

トゥシューズは、ダンサーによって「持ち」が違う。1回の公演で履きつぶす人もいる。高田は硬めが好き。シューズにノリをつけて固め、また履いてノリで固めて、を繰り返し、好みの柔らかさに仕上げる(写真/植田真紗美)

コンクールで特別賞受賞 ロシアにバレエ留学へ

 中学1年生の頃、手術をした。母親は、「成功率は70~75%ほど。もしかしたら、踊れなくなるかもしれない」と知らされていたが、高田には黙っていた。母の心配は杞憂(きゆう)に終わった。

 中学3年、高田は一つの決心をする。海外への留学だ。高田の家は決して裕福とは言えなかった。中学生の頃に両親は離婚。バレエの発表会やコンクールは数万~数十万円かかることが一般的で、家族に負担をかけることに心を痛めていた。だが、NBA全国バレエコンクールの審査員特別賞を受賞し、チャコットからの奨学金でロシアにあるボリショイ・バレエ学校への留学の道が開いた。

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留学2年目、迷いが出てきた