「海外に行きたい。これはチャンスだ。自分の力で何かできるんじゃないかって思ったんです」
06年9月にロシアのモスクワで学生生活がスタート。すべてが新鮮だった。ロシア人のクラスメートたちは臆せず先生に意見し、気に食わないことがあるとレッスンから退出することもあるが、次の日には先生と仲良くしているのを見て、「こんなに自分を出していいのか」と刺激を受けた。
最初は留学生のクラスに入っていたが、しばらくして、ロシア人のクラスに入れられた。そこで高田が指定されたバーの位置に、ざわめきが起きた。一番上手だったダンサーの隣だったのだ。ロシアでは成績順にバーにつく位置が決まっていた。
踊りに真摯に向き合う姿勢やテクニックはクラスメートにも認められていった。友達と恋バナができるほどロシア語も上達し、バレエの成績は5段階評価で、5プラスをもらうほど優秀だった。
だが、留学2年目、迷いが出てきた。ロシアでの生活は楽しかったが、もっと成長したいという焦りと、ロイヤル・バレエ団への憧れが募っていた。ボリショイ・バレエ学校を卒業した場合、ロシアのバレエ団に入団できる道はあるが、ロイヤル・バレエ団入団への道はない。
「ローザンヌ国際バレエコンクールに出場して賞を取れば、希望するバレエ団に研修生として入団させてもらうことができる。ボリショイの卒業前でしたがすぐに日本に帰って、出場のための手続きを行いました」
踊る演目は「ジゼル」を選んだ。心臓の弱い村娘、ジゼルが踊ることを許されて喜んで踊るシーンでは、けがで踊れなかった頃の自分と重なった。出演者に送られる振り付け用の映像を見ながら1人、役作りに励んだ。
08年1月、高田はスイスのローザンヌにいた。試験期間は予選・本選を含め1週間ほど。だが予選まで点数が思わしくない。緊張している上に、舞台は観客から見えやすいように傾斜しており、慣れない高田には踊りにくかった。
「高いお金をかけて来たのに、賞をとれなかったらどうしよう」