――前園さんはキャリアの後半にブラジル、韓国のクラブでプレーしました
国によって目指すサッカーの方向性が違います。僕はずっと試合に出られたわけではないですけど、充実感はありましたね。韓国はトレーニングで走る量が多く、高校時代に戻った感じでした。今は技術が洗練されていますが、当時はフィジカルの強さ、走り負けないサッカーを志向していたので、練習は日本よりきつかった。ただ悪く言うと、無駄な走りも多い。「こんなに走らず、もっと頭を使えばいいのに」と思いましたけど、それが韓国のスタイルでしたし、勉強になることが多かったです。経験しないと分からないですよね。
衝撃を受けた選手はフリューゲルス時代のチームメイト
――14年間のキャリアでさまざまな選手とプレーしましたが、もっとも衝撃を受けた選手を教えてください
フリューゲルスでチームメイトだったジーニョですね。94年のW杯で優勝したブラジル代表のメンバーです。スピードが速いわけじゃないんですけど、技術と状況判断がすごかった。動き出し、相手の逆を取る体の動き、パスを出すタイミングなど、細かい部分で勉強になることが多く、最高のお手本でした。一緒にプレーしていて毎日が楽しかったですね。
――横浜フリューゲルスは99年元旦の天皇杯で優勝した試合を最後に、横浜マリノスと合併という形でクラブの幕を閉じました
僕はフリューゲルスを離れていましたけど、プロで最初に入ったチームですし、別れ方は別として、Jリーグの中で一番思い入れのあるチームだったのでショックでした。いろいろな情報が入ってきましたけど、まさかクラブがなくなるとは思わなかったです。選手、コーチ、スタッフやお世話になった方たちがたくさんいましたし、寂しかったですね。
(聞き手・平尾類)