――フリューゲルスで中心選手として活躍し、96年のアトランタ五輪では予選を勝ち抜いて28年ぶりの本戦に出場。予選リーグで優勝候補のブラジル代表を撃破し、「マイアミの奇跡」と称賛されました
結果は勝ちましたけど、内容では負けていました。今まで感じたことがない差を体感して、これが世界のサッカーなんだなと。この大会で金メダルを獲得した2戦目のナイジェリアは、スピード、パワーと身体能力はすごくて0-2で敗れましたが、ブラジルほど力の差は感じなかったし、十分に戦える手ごたえはありました。海外でプレーしたいという思いが強くなったのは、アトランタ五輪を経験したからです。このレベルでプレーすることが日常にならないと、世界で戦えないと痛感しました。
――96年のシーズンオフは、海外移籍を念頭に代理人を置いての契約交渉に臨みましたが、移籍はかないませんでした。スペインのセビージャへの移籍が報じられましたが…。
今みたいに選手が代理人を立てる時代ではなく、チームも海外移籍を前提の交渉をしたことがありませんでした。移籍金の問題などハードルが高くて、選手が海外に出られる時代ではありませんでした。誰も悪くはないんですけど、23歳だった自分は夢がかなわないショックが大きかった。心の整理がつかなかったですね。
「W杯は見なかった」
――ヴェルディ川崎(現、東京ヴェルディ)に移籍しましたが、97年3月を最後に日本代表から外れました
98年のフランスW杯はアトランタ五輪から2年後なので当然目指していましたが、自分のプレーが思うようにいかず難しい時期でした。移籍金を支払って獲得してくれたヴェルディに感謝しなければいけないんですけど、モチベーションを奮い立たせようと思ってもうまくいかず、期待外れの結果で叩かれました。メディアとの確執があったし、サッカーが楽しくなくなっていて。W杯は見なかったですね。
――今はクラブ間で海外移籍への道筋が確立されています。前園さんは「早すぎた天才」だったのかもしれません
時代が時代ですからね。でも仕方ないです。うらやましいと思っても仕方ない。今プレーしている選手たちは、チャンスがあったらどんどん海外に出るべきだと思います。Jリーグのレベルは上がっていますが、海外はプレーの「強度」が全然違います。選手として成長の度合いがまったく違うし、海外で生活することで精神的にもたくましくなる。結果が出なかったとしても挑戦したことは大きな財産になります。