今回の座談会はNPO法人School Voice Projectの呼びかけで集まってくれた先生たちで開催。School Voice Projectは関係者間に"対話の文化"を耕す活動、行政や政治の場に現場の声を届ける活動をしている(撮影/写真映像部・東川哲也)

E:今の学校現場の悲惨さをどうにかするための意思統一ができぬままに、学校全体が迷走しているという印象が強いですね。私の県では採用希望者がどんどん減っているし、教員になった人でも1、2年の間に次々に休んだり辞めたりしています。そんな状況なのに学校内の様子や校内研究の内容などは以前のまま。何に時間を使うべきか、本当に大事なことは何かということが不明瞭なまま、ただただ毎日をやり過ごしている感じがします。そもそも学校とはどういう場所かという一番大事なビジョンの共有ができていないのだと思います。

C:高校でも同じような悩みはあって、先生の間で何が子どものためか、というポイントがずれていることにしんどさを覚えます。部活優先の先生は文化祭など行事はどうでもいいからと練習試合を組んだり、授業に力を入れる先生は担任業務を適当にしていたり、逆にクラス経営を一生懸命している先生は授業の準備をろくにせずに、何年使い回してるの?というような授業をしたり。それぞれ大事にしている視点、生徒のためにとこだわるところが違う。特に高校では学年ごとに違うのが当たり前というような状況で、すり合わせが難しいです。

F:教育観や価値観のすり合わせの難しさは私も感じます。建設的な対話もないまま声が大きい、圧が強い教員たちの意見だけで教育方針が決められ、議論にまでたどり着かない。そのような教員と組んだ若手教員が一方的な教育観を押し付けられて休職に追い込まれるというようなケースも聞きます。これは組織の問題だと思いますが、支援の価値観の相違で済まされてしまう。

意思統一ができない

G:学校内で意思統一ができていないという点で言うと、スクールソーシャルワーカー(SSW)についても同じですね。学校の管理職のものの見方一つで活用度合いが変わってしまう。SSWのコーディネート担当の先生と方向性を話し合っていても、管理職がSSWに対して否定的だったり無関心だったりすると、子どものためにと考えていたことが「そこまでしなくていいよ」とすべてひっくり返されてしまう。SSW自身が仕事の進め方を開拓していかないとままならないという状況は課題です。

A:若手にとっては実際に働いてからのギャップも問題としてあるかと思います。大学の教職課程では学級経営について学ぶことはほとんどない。でも、いざ教員になってみると担任になった瞬間から学級経営ができて当たり前と思われていて、どうしたらいいかわからずに苦しんでしまう。教科学習の比重が重く、学級経営や福祉との連携、ファシリテーション、地域資源や社会資源とのコーディネートなどもほとんど学びません。周囲の教員も余裕がないから声をかける機会も少ない。早期離職の原因は教員になる前から始まっていると思っています。

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多様化する子どもたち