中日の中島宏之
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 シーズンが終盤に入り、優勝争い、CS進出争いが熾烈になってきた。一方で、下位に低迷しているチームは若手を積極的に起用し、将来を見据えた起用法も見られる。チーム再建を図る中で、来季の戦力構想かに入るか微妙な選手もいる。中日のベテラン・中島宏之はその一人だろう。

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 2000年のドラフト西武に入団。メジャーに移籍した松井稼頭央の後任として04年から遊撃レギュラーの座をつかみ、06年からは5年連続で3割をマーク。09年には最多安打のタイトルを獲得するなど中心選手として活躍し、ファンの人気も高かった。

 12年オフに海外FA権を使ってアスレチックスと契約したが、13年のスプリングトレーニングで左足を故障。結局、メジャーで試合出場をすることなく、15年からNPBに復帰することになり、西武、阪神との争奪戦の末、オリックス入りした。

選手一本の中日を選択

 19年からプレーした巨人では次第に出場機会が減っていた。昨年は3月の紅白戦で死球を受けて右母指末節骨骨折によって戦列を離れると、7月に1軍で約3週間プレーしたが、8試合出場にとどまり、打率.278、0本塁打。シーズンの大半をファームで過ごし、オフに戦力構想から外れる形で退団すると、中日と古巣の西武が補強に動いた。

「憧れの松井稼頭央監督が指揮をとり、気心が知れた仲間がいる西武に復帰したい気持ちがあったようですが、コーチ兼任での打診だったようです。一方で深刻な貧打に苦しむ中日は選手一本でのオファーだった。この時点では巨人を退団した中田翔の去就が決まっていなかったので、中日が中田を獲得できなければ、中島は一塁のレギュラーの有力候補でした。通算2000安打まで残り72本に迫っていることを考え、中日入りしたのは納得できる決断です」(スポーツ紙デスク)

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代打起用でなかったら違う結果に…