夫婦で話し合ってみた
ひろ「君、回答ながっ!」
ゆか(むっ)「つめた!」
ひろ「夫婦問題に対するアドバイスとして『話し合う機会を設けてみましょう』って、だいたいどんな問題でも言えちゃうんだよね。きつい言い方をすると、質問読まなくても書けるというか」
ゆか「もちろん人によるけど、例えば女性の場合は悩みを聞いてもらうだけでなく、気持ちに寄り添ってもらいたい、という思いも結構ある気がした」
ひろ「本来、友達とか周りの人と話してれば解消してるレベルの事を赤の他人に質問してるから、寄り添うよりも『友達作ったら?』という提案の方が、長期的に質問者の為になると思ったんだよね」
ゆか「私はひろゆき君の回答で、夫以外の人と会話をする場所を作って、“会話したい欲”をきちんと解消した方が良いというアドバイスは『確かに』って思った。
一方で、質問者さんの相手は、そもそも会話(挨拶や感謝も含むコミュニケーション全般)を重要視しているのか? そこに問題があると相手が思っていることに気づいているのか?という部分もあるので、何が自分にとって心地良い状態かを含め、話し合う機会を作っても良いんじゃないかなと思ったんだよね」
ひろ「質問者を置いといて、女性が会話をしたがって、男性は会話をしたがらないって、よくあることだと思うんだよね。よくあるトラブルに対するよくある回答というか。んで、質問者の文章から、自分には非がなくて、相手に非があるという意識をわりと感じたんだよね」
ゆか「話し合った結果、会話したくないなら仕方ないんだけど、よくあることだから受け入れろで終わっちゃうと、小言だけ言われて感謝されないという不条理な状態もそのままになるから、そこはあまり賛同できないかな。あとは、相手に非があると思っているというよりは、単に寂しいという気持ちなんじゃないかな」
ひろ「なぜ、パートナーが話をしたがらないのか?という点の考察がなくて、言葉が少ないことと、“日常的な小言“という切り捨て方をしてるのが気になった。日常的な小言とやらも、実は会話なのに、それをノーカウントにしてそうだなぁ、と。例えば『寒くなってきたねぇ』とかも小言として捉えられるじゃん」