東京を流れる荒川に架かっていた旧四ツ木橋付近でも多くの朝鮮人が殺された。土手の近くに2009年、一般社団法人「ほうせんか」が追悼碑を建立した(写真:編集部・野村昌二)

背景には不安と情報不足、デマや流言を国が補強

 流言が広がり、人々が凶行に及んだのはなぜか。

「背景には不安と情報不足があった」

 こう語るのは、災害時の心理と行動に詳しい、東京大学大学院の関谷直也教授(災害情報論)だ。

「心理学的には、流言が発生する最大の要因は不安の感情です。しかも多くの人が一斉に不安になる時です。そういった状況にいたらしめる社会的条件が、情報不足です」

 関東大震災では、何が起きているのか分からない事態に多くの人が不安になり、主要な情報発信手段だった電信、電話が途絶え、東京市内の新聞社のほとんどが壊滅し、正確な情報を得ることができなかった。そして、ときに噂に接することで「怒りの感情」が増幅し、平時の心理状態に戻るのが妨げられ攻撃的な行動に転化するという。関東大震災では「朝鮮人が井戸水に毒を投げ込んでいる」といった流言が怒りを焚きつけた。土壌には朝鮮人に対する差別感情があったため、攻撃の矛先が朝鮮人に向かったと関谷教授は言う。

「怒りの感情が弱者に向かうのは、災害や危機の時の共通した現象です。2001年9月11日の『同時多発テロ』後はイスラム教徒やアジア人に対し攻撃の目が向き、新型コロナウイルスの時は、中国が発生源だったことから欧米ではアジア人やエッセンシャルワーカーの割合が高い有色人種への攻撃が行われました。元々持っている差別感情を刺激し、攻撃の対象が弱者に向かうのは、災害時や危機の際に共通した現象としてあります」

 ノンフィクションライターで、今年6月に『地震と虐殺 1923-2024』を上梓した安田浩一さんは、関東大震災でデマや流言が一定程度信じられた背景には、「朝鮮人に対する差別や偏見が日本人の中に植えつけられていたからだ」と語る。

 新潟県津南町の穴藤(けっとう)と呼ばれる山々に囲まれた地区では、発電所の建設工事などの労働力として朝鮮人が多数動員されていた。そこでは関東大震災の前年に、過酷な「タコ部屋労働」に耐えかねた朝鮮人が逃げ出したところ捕まり、制裁を加えられ殺され、死体は近くを流れる中津川に投げ込まれた。

「つまり、日本の社会には朝鮮人に対する理不尽な差別と根拠なき偏見が植えつけられていて、何かのきっかけさえあれば朝鮮人を殺す準備はできていたと思います」

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