始球式直前には、背番号55のユニフォームを身に着けた楽くんに気づいた村上選手がサインボールをスタッフにそっと託す一幕も。父:聖志さん、母・真理子さん、姉・桃さんと臨んだ終了後の会見で「サインボール! うれしかった!」と語る楽くん。(写真:佐藤創紀/写真映像部)

「苦手なことは多いけれど、得意なこともある。それも個性の一つとして捉えて、お互い助け合うという気持ちでサポートしてもらえたらと思います。助けてもほしいけれど、彼から得られるものもきっとあると思う」

聖志さんも、「こういう子がいるんだな、こういうふうに行動するんだなということを、感情を抜きに見る瞬間を持っていただけたらとても嬉しいですね」と言う。

 04年と古いデータだが、内閣府が障害のある人を対象に行った「障害について知ってほしいこと」調査でも、「『障害があるからできない』と決めつけずに、できることを一緒に考えて」(67.4%)、「障害だけを見るのではなく、一人の人間として全体像を見て」(65.4%)と、障害について知ったうえで、特別視せずに普通に接してほしいとする声が多く寄せられていた。

 一家が半年間滞在したカナダのトロントでは、「肢体不自由の子が同じクラスにいても、みんな普通に接していました。楽にも、野球好きなのか、じゃあキャッチボールしようよ、と。おまえ、できないんじゃないか、みたいなことはまったくなかった」。「人のいいところに注目する社会のほうが住みやすい」と聖志さんは感じた。

「いま自分ができることを、できる範囲でやるしかない」というのは聖志さんの言葉だが、我々すべてに当てはまる言葉でもある。綺麗事かもしれないが、一人ひとりの小さな意識が積み重なったとき、人が幸せになれる社会に一歩近づけるのではないだろうか。

成功した経験を糧に

 始球式前は、大勢のメディアやスタッフに囲まれ、両親の後ろに隠れがちになり、視線もどこか落ち着かない様子でさまよっていた楽くん。だが、終了後は、目線を上げて「楽しかったー!」と笑顔で答えた。大好きな村上宗隆選手がくれた「サインボール。うれしかった!」と語る様子は、この日の一瞬で成長したことを感じさせた。

 あれから1カ月。楽くんは、野球の練習に加えて通い始めたサッカー教室で、コーチからの「リーダーやりたい子?」の声に、これまではもじもじしていたが、自ら手を挙げるようになったという。また、何かできないときに助けを求められるようにもなった。「自信と積極性が増した。始球式経験前にはなかったことです」と聖志さんは言う。

「始球式にチャレンジして、成功体験にできたのはとても大きかった。今後、苦しいこともあろうかと思いますが、この子が生きていくうえでの糧になったと感じています」

「大好きな野球を通じて、成長を促したい」という父の夢、「楽しい思い出として残って、それが本人の自信につながり、何かしら他の人の勇気づけになったら」という母の思いは、社会のサポートを得て、息子が叶えた。この経験から始まる、楽くん自身の夢もきっとあるだろう。そして、あらゆる人が挑戦できる、幸せになれる社会に、という家族の夢もまた、このマウンドから始まり、広がっていく。

(編集部・伏見美雪)

AERA 2024年8月26日号に加筆

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