谷川直子『その朝は、あっさりと』(朝日新聞出版)
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 それは父の声でした。認知症になった人は苦しいことを感じなくなるから幸せだという言葉を聞くたび、ちがう、認知症になって悔しくない人なんていないと私は反発を感じてきました。父だけでない。母も娘の私たちも、ほんとに悔しかったのです。いったいどうしたら父の声を入れられるだろうと、ずいぶん悩みました。そして詩とドラマと俳句からヒントをつかんだのです。

 父を見ていて、私はよく谷川俊太郎の「誰にもせかされずに」という詩を思いました。「誰にもせかされずに私は死にたい」という一行から始まるその詩は、初めて読んだときより少しずつ色を濃くして、私の心にしみいるようになったのです。なかでも「誰にもせかされずに私は死にたい/愛し続けた音楽のように心臓をリタルダンドさせてやりたい/宴のあとのまどろみのようにゆっくり夜へと入ってゆきたい/もう脳が考えることをやめたあとも/考える以上のことがまだ私のどこかにとどまっているかもしれないから」という第二節を、折に触れ反芻しました。この詩が第一のヒントになりました。

 ぼんやりしていたかと思うと父はふと正常に戻り、文章も自分で作ってすらすらと達筆で礼状を書いたりします。「ほんま、パパの頭の中、どないなっとんやろ」と母はよく嘆きました。

 そんなとき、私は認知症の女性を主人公にした「まぶしくて―私たちの輝く時間―」という韓国ドラマを思い起こします。主演はベテラン大女優キム・ヘジャ。人気スターのナム・ジュヒョクが出演しているのでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

 ボケた老人のとんちんかんな行動を記号的に描いたよくあるドラマではなく、認知症の人間も何かその人なりの理屈で動いているのだということを、ファンタジー仕立てにした魅力的な作品で、こんな認知症の表現の仕方があったのかと驚いたものです。

 このドラマが第二のヒントでした。もしかしたら父の頭の中の世界を言葉にできるかもしれない。谷川俊太郎の詩にあるように「考える以上のことがまだ私のどこかにとどまっているかもしれないから」です。

 同じころ、なんとなく読み返した小林一茶の全句集に私は魅入られてこれが最終的なヒントになりました。一茶といえばほのぼのしたイメージが強かったのですが、昔はなんとも思わず通り過ぎていた「死」や「老い」を詠んだ句に強くひきつけられたのです。

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