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 96歳の父を家族、介護者とともに看取った谷川直子さん。父が認知症になって10年、亡くなる前の20日間に感じ取った数多くの思いを、なんとか小説にしたいと考えこみます。そこで思い出した谷川俊太郎さんの詩と韓国ドラマ。小説の鍵となる小林一茶が詠んだ「死」や「老い」についての温かな句。谷川さんが書きたかった死にゆく者の声と、実際に死ぬ時に人はどうなるのか。「死(しに)げいこ」を通して看取る者が受け取る大切なこととは? "超高齢社会"にあって、多くの人が経験する誰かの「死」と、どう向きあったらいいのか。そのヒントになりうる小説『その朝は、あっさりと』にこめた想いを、谷川さんにご寄稿いただきました。

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一茶と「死(しに)げいこ」

 近年、96歳まで長生きした父を看取りました。認知症を発症して10年。中学の教師から短大の教授になり、みんなに「先生」と呼ばれ愛された人間。亭主関白で妻には尽くされ、娘3人にとっては厳しくただただ忙しい父親でした。最後の20日間を家族と共に父と過ごし、多くのことを感じ、これを小説にしたいと思い執筆に着手しました。

 典型的な昭和のスーパー専業主婦であった母は、認知症でも父がボケることを一切許さず、ひたすら父を元の姿に戻そうとやっきになって、起きろ、動け、書け、食べろ、と鬼コーチのように厳しく父の日常生活を管理しました。

 転んで肋骨と恥骨を骨折してから父は急に弱り、4年間の自宅介護が始まります。できないことの増えていく父と母の力関係は逆転し、母が父を叱り飛ばす毎日ですが、母も80代で老老介護。娘たちもみな60前後で体力はありません。それなのに当の父は、痛みを盛大に訴え、嫌なことは嫌と言い、嫌味を言われると冗談で嫌味を返したりして、周りに迷惑をかけながらもマイペースで生きていました。

 王様のように振る舞う父と、それに嫌気がさし悪態をついて悪魔のような顔を見せたかと思うと、身内ならではのやさしさを発揮し天使の顔を見せ、目まぐるしく心境の変わる母と姉。

 以前書いた『私が誰かわかりますか』という小説では嫁の立場でしたが、今回は実の娘。介護をする家族の本音とリアルが書ける。介護要員にならない息子や介護をする男たち、自宅介護に寄り添ってくれた「かんたき」(看護小規模多機能型居宅介護)なども入れて設定を練り直し、書き始めて「何か足りない」と私は思ったのです。

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