華々しくデビューを飾った者に、雌伏の時を過ごす者。甲子園の土を踏んだ経験も糧にして、“ドラ1”たちはそれぞれに充実のルーキーイヤーを送っている。AERA増刊「甲子園2024」の記事を紹介する。

横山聖哉選手(オリックス・バファローズ)(撮影/写真映像部・馬場岳人)
この記事の写真をすべて見る

*  *  *

 地元の上田西(長野)に入学時は173センチ62キロ。決して目立つ存在ではなかった。ただ野球が大好きで、少しセンスのある“野球小僧”が、3年時にスカウトの目に留まりはじめる。

オリックスの1位指名は自分でもびっくりしました。高校2年生ぐらいまでは大学で野球をやろうともまったく思ってなくて、3年になっても迷っている感じでした」

 意識が変わるきっかけが、2年夏の長野大会だった。ショートで主軸の横山聖哉も新型コロナに感染。優勝候補の同校が、準決勝で敗れた。

「自分と同じように試合に出られないで終わった先輩もいました。先輩たちと行きたかった甲子園に行けず、その悔しさから、甲子園が単なる目標ではなくなりました」

 最上級生になるとゲームキャプテンに就任。得意ではない声かけも、自らするようにした。夏から冬になるにつれて回数を増やすインターバル走でも、常に先頭を走った。

 もともと遠投120メートルの肩と守備範囲の広さには定評があり、課題はコンスタントな打撃だった。

 そのために採り入れた練習が“ランダムティー打撃”だ。通常の「置きティー」に加え、相方に不規則にトスを投げてもらう。

「フェイントで投げてこないとき、体が前に出ずにしっかり壁をつくり、置きティーのボールを打つ練習です。打ちたい、打ちたいで体が突っ込んでしまうことが、この練習で減ったと思います」

 体も181センチ85キロに急成長。飛距離も伸び、2年秋までの15本塁打から、高校通算は30本塁打に達した。

 最後の夏の長野大会も、2試合連続アーチを皮切りに、準決勝でも先制点の口火となる二塁打を放つ。

次のページ
「まだ負けてないぞ」