「成功していても有頂天になるな」
それが偉大なる母の教え
「いま目の前にあるものが最高!」
「自分の目の前に起こる出来事は、良いことも悪いこともすべて自分のためにある」
この真理にたどり着くことができたのは、母の影響でした。
私が生まれ育った家庭は、かなり変わっていました。
父は外で愛人をつくり、その女性との間に次々と子どもをもうけましたが、母はその子どもたちも引き取り、自分が産んだ子どもと同じように大事に育てました。そして父を責めたり恨んだりするどころか、「私がいけないから」とよく言っていました。
「私が至らないから、お父さんに苦労をさせている。相手の女性には申し訳ない」
本気でそう話すのです。
パートナーに浮気をされ、よそに子どもをつくられたら、口論どころか別れ話や離婚に発展してもおかしくありません。なのに、母は取り乱したことがない。
それも一度や二度の話ではありません。
いま考えても、母の度量の広さには驚くばかり。いつでも周りと調和していて、とても優しく、皆に良いエネルギーを与えてくれる、本当に器の大きな人でした。
それが母の生まれつきなのか、人生経験の中で培われていったのかはわかりません。苦しいこともあっただろうし、それを乗り越えてきたのかもしれません。
ただ、信心深かったことは確かです。クリスチャンでありながら、神社仏閣でも手を合わせるような人でした。
母の思い出の中で印象に残っているのは、「祈り」と題した手紙です。
1998年4月、株式を店頭公開する日の朝のこと。家を出ようとした私に、母が手紙を渡してくれたのです。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことをできるようにと健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
後から調べたところ、この詩はアメリカ南北戦争時の兵士が書いたとされるものでした。日本では新聞で紹介されて知られるようになり、多くの反響を呼んだそうです。
当時、株式公開することを母に伝えてはいませんでした。でも私の態度から何かを感じ取って、こんな手紙を書いてくれたのでしょう。
「すべて最高のことが起こっている。とはいえ有頂天になってもいけないよ」
そう戒めてくれたのです。
いかなるときも、落ち込まないし、傲慢にもならない。悲観的にもならず、楽観的にもならない。それが「自分中心」から脱却した、中庸な態度なのでしょう。
先行きの見えないときこそ「いま目の前にあるものが最高!」と謙虚に生きていきたいですね。
(正垣泰彦:実業家)