8月15日は終戦記念日。あの日から79年が過ぎ、戦争を体験した人が少なくなり、凄惨な記憶も薄れつつある。両親の被爆体験と向き合い、伝えようとする人がいる。画家・増田正昭さん(71)に取材した。AERA 2024年8月12日-19日合併号より。
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京都市の画家・増田正昭(まさかず)さんは、被爆者の肖像画を描いている。
モデルは口角を上げた人もいれば、じっと見つめる人もいる。深く刻まれたしわが歴史を語る。各地に出向き、これまでに51人を描いた。
「家族には見せない表情だと言われましたね」
被爆者を描いたきっかけは2017年、50代で通い始めた美大の大学院の卒業記念の個展だった。「広島について描いては?」とアドバイスされたという。
増田さんは高校卒業まで広島市で過ごした。父母は入市被爆している。「被爆」が身近だったからこそ、その模様を写実的に描くのは怖いと娘に言われ、得意な肖像画にした。
広島弁をしゃべるな
肖像画を描くときは、被写体になりかわるほど肉薄する。被爆体験やその後の人生を聞きながら、2時間かけて被爆者をデッサンする。
「こんなにひどかったのか」
肖像画を描き始めてから、広島の人たちが被爆について語らない理由が改めてわかった。
「私が広島にいた頃、周りは被爆者ばっかりだったけど、語ることははばかられる雰囲気がありました。上空を旅客機が飛ぶだけで、母は反射的に縮こまりました。重い思い出があるだろうと思っていました。ほじくり返すわけにはいかなかった」
子どもの頃、周囲では子どもが数多く亡くなり、死産も多かった。
「子どもに影響があるんじゃないかと、子どもが大きくなるまで話せなかったのではないか」
広島の外で差別に苦しんだ話も聞いた。
「広島弁をしゃべるなと言われていた人もいました。病気がうつると言われていました」
話を聞きながら、あまりのつらさに筆を持つ手が何度も止まった。でも、今のうちに肖像画にして残したい。