「背番号4」の投手として甲子園を沸かせた東海大浦安・浜名翔
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 高校野球のエースナンバーといえば、1番がお約束。だが、時には、2番や4番などの野手番号でマウンドに上がり、ファンの記憶に残る好投を見せた投手たちもいる。

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 捕手番号の2番を着けながら、甲子園でストッパーを務め、“滑川の大魔神”と呼ばれたのが、1998年に西埼玉大会を制して甲子園初出場をはたした滑川の久保田智之(元阪神)だ。

 小学校時代から捕手だったが、投手に憧れるあまり、暇を見つけては投球練習に励み、野茂英雄を思わせるトルネード投法から最速140キロをマークするまでに成長した。

 1回戦の境戦、4番捕手で先発出場した久保田は、6対6の同点に追いつかれた7回2死から背番号1の小柳聡をリリーフ。9回まで4奪三振の無安打無失点に抑え、チームの甲子園初勝利に大きく貢献した。

 2回戦の富山商戦でも、1点リードの8回から小柳をリリーフし、重い速球を武器に2回を2安打1奪三振無失点。9回には自らのバットで5点目となる三遊間タイムリーを放ち、投打にわたる活躍で、2勝目をもたらした。チームは3回戦で久保康友(現ハンブルク・スティーラーズ)の関大一に1対12と大敗したが、久保田は11点差の8回1死から登板。3奪三振、無失点の好投は、敗戦の中にもキラリと光るものがあった。

 背番号4の甲子園準優勝投手として知られるのが、00年の東海大浦安・浜名翔だ。

 秋、春ともに千葉県大会16強の同校は、夏もダークホース的存在だったが、6月1日にエース・井上大輔が体育の授業中に左太ももの筋肉を断裂し、全治6週間の重傷。夏に間に合わなくなった。森下倫明監督も「目の前が真っ暗になった」という。

 そんな絶望的な状況を救ったのが、主将の二塁手・浜名だった。入学時に投手志望も、森下監督は「あの身長(173センチ)で野球を続けるには、野手しかない」とあえて内野を守らせた。

 それでも浜名は投手をあきらめず、進んで打撃投手を務め、練習後にも投球練習に励んだ。そして、「甲子園に出れば、井上は間に合う」と自ら代役を買って出る。

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内角をえぐる鋭いシュートを武器に甲子園で躍動!