8月も中盤。お盆休み中の方も多いかと思います。最近「AERA dot.」で掲載された記事のなかで、特に読まれたものを「見逃し配信」としてお届けします(この記事は7月2日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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【※ネタバレ注意】以下の内容には、アニメ、既刊のコミックスのネタバレが一部含まれます。
アニメ「柱稽古編」最終話が6月30日に放送された。「柱稽古編」は、もともと「刀鍛冶の里編」の激しい戦闘と、残酷な戦いが強いられる「無限城編」の合間、鬼殺隊の隊士の“ほのぼの”とした交流や、日常のひとコマが描かれるはずだった。しかし、最終話では、鬼殺隊の長・産屋敷耀哉の執念が見せつけられ、その“狂気”には、鬼の総領である鬼舞辻無惨がたじろぐほどだった。終盤で描かれた耀哉の“自爆シーン“は、そのインパクトの強さから視聴者からもさまざまな意見が出た。はたして、「人間の狂気」と鬼のそれとの違いはどこにあるのか。耀哉の行為は「正義」といえるのか。アニメの描写を忠実に読み取りながら、行為の意味を考察したい。
産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の邂逅
病床に伏し、半年以上も前から余命宣告されていた、鬼殺隊の長・産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)。身体を起こすだけで血を吐き、血涙を流しながらも、たくさんの人々を魅了し、癒してきた、彼の声の穏やかさは失われていない。
「ついに…私の…元へ来た…今…目の前に… 鬼舞辻…無惨… 我が一族が…鬼殺隊が… 千年…追い続けた…鬼……」(産屋敷耀哉/16巻・137話)
病のために見えなくなった彼の目の代わりに、妻・あまねが無惨の外見特徴を耀哉に伝える。20代半ばから後半くらいの、華やかでしゃれた洋装姿の無惨は、美しい顔を崩さぬまま、「醜い 何とも醜い お前からはすでに屍の匂いがするぞ産屋敷」と、耀哉に侮蔑の言葉を投げつけた。