(写真/本人提供)

 営業改革の結果、希望退職で人は減ったが、売上高は落ちない。むしろ、1%くらいずつ増えていく。1%増えてコストが下がると、営業利益は大きく伸びる。奥田社長は賞与を上げ、成果を配分した。また頷いた。

 1951年3月、横浜市保土ケ谷区に生まれ、父は市内の会社の経理マンで、母と姉2人の5人家族。小学校のときから背が高く、足も速かった。市立岩崎中学校へ入ると、小学校の同級生がバスケットボールをしているのをみて「格好いいな」と思い入部。大学まで続けた。

 市立桜丘高校3年生のとき、国体の県選抜チームに選ばれて「団体・高校」の部で優勝したが、明大には運動で入学が可能な「セレクション」ではなく、受験勉強をして商学部へ合格する。3年続けて大学日本一になり、主将も務めたから、望めば有力チームを持つ大企業へ入社できた。だが、興味があった小売業数社の入社試験を、一般枠で受ける。4年間、できるだけ授業へ出たし、マーケティングの本なども読んでいた。

毎日一つ、週に1点単品管理でみつけた和洋食器の売れ方

 73年4月に入社し、神戸店の家庭用品部へ配属された。和洋食器の売り場を8年2カ月、担当する。当時は商品をすべて買い取り、返品はできず、勝手に安売りにも出せない。先輩たちも当然のように思い、KKDで「これが売れる」「これはあかん」という具合に補充し、見込みが外れた品が残っていく。

 それでは売れ方の法則や売れる品の特性がつかめないので、売り場にある約500種の商品の表をつくり、一人で1週間ごとに在庫の変化を記入した。単品管理を徹底すると、法則性がみえる。ほぼ毎日一つ売れる商品があれば、1週間に1点だけ売れる品もある。全く売れなかった品は、ある日突然、売れるようにはならない。そんなことをつかみ、仕入れに活かす。

 2003年3月、誕生日に、奥田社長に呼ばれた。「プレゼントかな」といくと、大丸の社長就任の打診だ。役員もしていないので、驚いた。10分ほど考えて「一生にこんなチャンスはないな」と思い、「命がけでやります」と答える。2カ月後に、トップに立った。

 大丸は07年9月に松坂屋と経営統合し、持ち株会社のJ.フロントリテイリングが誕生。合併した大丸松坂屋百貨店の社長からJ.フロント社長、取締役会議長を経て、この5月に顧問に退いた。小売業ひと筋に、半世紀を超えた山本さん。次のボールは、どんなゴールリングへ投げられるのか。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年8月5日号

暮らしとモノ班 for promotion
知ってた?”ワケあり”だからお買い得なAmazonアウトレットの日用品