アメリカで見た権利実現のための「美しい戦い」

 今日のアメリカの戦争を見ていると、人民のための戦争とは程遠く、ベトナム、イラク、アフガンなどで国家のための戦争を行い、そこに暮らす人々の生命と人権を蹂躙してきた。

 そうした失敗を繰り返したのはアメリカだけではなく、フランスやイギリスも同じだ。そして、ガザの戦争では、西側諸国はさらに過ちを繰り返している。

 「美しい戦争」という概念は、戦争を否定する日本国憲法の前文や憲法9条の平和主義の精神とは全く正反対の考え方だ。

 一方で、日本の国歌「君が代」が、主君の繁栄を祈る内容であるのはまた、逆の意味で米仏の国歌とは正反対だ。日本国憲法の国民主権や基本的人権の考え方にもそぐわない。

 日本人が有する憲法と国歌。

 戦いを否定する一方で、主君の繁栄を祈る日本人は、自分たちの権利のために命懸けで戦ったことがない。

 アメリカ国民から見れば、血を流して権利を勝ち取る勇気がない国民は見下すべき存在なのかもしれない。

 そういう日本の国民には、「与えられた範囲内での慎ましい幸福を与えてもらうことをお願いする権利」しかないということになるのだろう。

 政治的な意見を表明せず、決められたルールに従順に従う限りにおいて認められる「人権」。それは名ばかりのものだ。

 これだけ一般市民が虐げられ生活苦に陥っても立ち上がらず、選挙でも権力者を支持し続ける日本人。多少の不平不満は表明しつつも、結局は現状を維持することに汲々とする。

 アメリカに来て、「美しい戦い」のために「銃を持つ権利」を神聖化し、そのために多くの罪のない人々が大量に殺されるという「野蛮国」とは、とても価値観を共有することはできないという思いを強くするのだが、一方で、彼らから学ぶべき点があるのも確かだ。

 それは、「戦う」こと。だが、私たちは、決して銃をとって戦うという道を選ぶべきではない。憲法で認められた正当な権利として、自由に意見を述べ、団結して行動し、投票によって自らの権利を実現していく努力を続けるべきである。それこそが「美しい戦い」である。

 自民党政府が、アメリカ政府と「価値観を共有」して、憲法が否定する「戦争による紛争解決」への道、いわば「美しい戦争」の道を歩もうとしているが、私たち国民は、その道を否定しつつも、真の「美しい戦い」を諦めない。そんな道を歩むべきだと思う。

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古賀茂明

古賀茂明

古賀茂明(こが・しげあき)/古賀茂明政策ラボ代表、「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。1955年、長崎県生まれ。東大法学部卒。元経済産業省の改革派官僚。産業再生機構執行役員、内閣審議官などを経て2011年退官。近著は『分断と凋落の日本』(日刊現代)など

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