7月16日配信の本コラムでお伝えしたとおり、筆者は6月下旬からアメリカのジャージーシティという街に来ている。ニューヨーク州の隣のニュージャージー州の中にある。ニューヨーク市のマンハッタンからハドソン川の対岸を望むとよく見える街だ。
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ニュージャージーというとあまり良いイメージはない。統計で見ると、それほど治安が悪いわけではなさそうだが、私が滞在している5週間の印象では、殺傷事件や火事などが多発しているという感じだ。警察官が襲われる事件も起きた。
そもそも、アメリカという国は、暴力の国だから仕方ないのかもしれない。先進国でありながら、銃の犯罪が日常茶飯事という国はほかにない。
そこには、「暴力は悪」だという前提がないように見える。暴力には「良い暴力」と「悪い暴力」があるという考え方の方が強いのではないか。正義のために悪と戦うのであれば暴力は正義となる。自衛のためであればもちろん、文句なく正義の暴力だ。
そして戦うためには銃が必要だ。
2023 年の銃による全米の死者数は、約1400人のティーンエージャーと300人近い子どもを含む約4万3千人。驚くべき数字だが、それでも銃の規制強化は遅々として進まない。ちなみに、日本では、23年の銃の発砲件数は9件で死者数は7人。比較にならない。
アメリカが世界中で常に戦争を起こし、あるいは関与し続けているのも、「正しい暴力」により正義を実現することが必要だという建前による。
すべての戦争は、「自衛のための戦争」だと宣伝されるが、「自衛」の概念があまりにも拡大されていて、とても額面通りには受け取れない。実態は、アメリカの利益のための戦争という面が強く、仮にそれを否定したとしても、「『アメリカにとっての』正義」のための戦争、アメリカの価値観、いや利益のための戦争としての意味の方が大きいように見える。